自由投稿のお部屋
■ Re[48]: 気がついたこと |
No. | :49 | |||
Name | :しげさん | |||
Date | :2002/12/12(Thu) 12:27 | |||
:olympos@shgshmz.gn.to | ||||
花木さん、久しぶり! 投稿してくれて、ありがとう。 元気に活躍しているんだね、楽しみにしています。 下記のような随想ノートを「しげさんの日記帳」に書いたのですが、ここにもその一部を書いておきます。 身体が動きを教える?教育が動きを創造する? 今回の花木沙織さんのコメントは、アーティスト・ダンサーとエデュケーティング・ダンサーの技法観の対称的相異という、きわめて正鵠を射た指摘だと理解した。要するに、前者は身体に動きを問い創作する、後者は表象=思考に動きを問い創作する…と言うことだろう。真に創作的生産は、身体が偶然吐き出してくる動きをからめ取り、それを材料加工して意味づけることでしか可能性はない、と前者は考えているのかもしれない。真に創作的生産は、身体に問う(動きの)前にその動きの主体の文化的資源である表象=思考に問いながら身体を変革することからスタートする、と後者は考えているのだろう。生産することと教育することは、別の仕事と考える必要はなかろう。教育が生産し、生産が教育するという入れ子的連鎖の相互作用なのだ。 とにかく動いてみて何か身体から返ってくることが期待できる、そういう身体は教育が生産したのであり、身体が偶然吐き出してくれたように思える奇抜な意外性の動きといえども、ダンサーの技法の引出しの隅に忘れられていた過去の教育的生産物の財産目録の一項でしかないのではないか。だから、その偶然性の表出を「創作」と思い込もうと「想起」と言おうと、ダンサーの表象=思考のアイデンティティーの再確認なのだと言えないか。 また、さまざまな水準での動きの技法をコード化し蓄積している表象=思考の財産目録の分厚い頁をめくりめくって、動きを身体に「与える」コースによって、身体が変革され、目録のさいごに新たな一項を書き込んだと思い込むことも、やはり生徒の身体的アイデンティティーの再確認を併発する行為なのではないか。それは多くの場合、模倣という表象=思考の機能を併発するので、書き込みは頻繁となり、蓄積が可能なのであろう。 真に古今東西、存在しなかった動きなどこの地球上にはない。もしあるとすれば、たとえば手が4本足が8本に進化したダンサーのできることだろう。現に、空中を漂うといったイメージを動きにしようとして、舞台の上へ紐で吊り上げられるといったことしか、人間にはできない。こういう極端な(歴史決定論的な)言いがかりは別として、少なくとも、成長過程にある表象=思考の主体にとって、個体としての創造は教育によって生産されるに違いない。技法的熟達へ向かうさまざまな経験の束が用意されてしかるべきであろう。そこに創作ダンス教育の存在理由があるのではないか。 創作ダンス教育の底の方には、どうしても運動の記述というメカニズムを見ないわけにはいかない。 認知(知覚)=運動のシステム論では(綿引勝美氏によれば)、@運動に制御的な関係をもつ認知、Aその関係の認知に対する認知、そしてB運動から遡及的な情報関係をもっている認知(キネステーゼ)、が一般に区別されるので、運動の記述的レベルでは、認知の運動への制御的な関わりと、その認知を認知する認知の過程が主な対象になっており、運動の認知への制御的な関係とか、認知にひっかからないような、情動の過程については、記述レベルに浮かんでこない。 ぼくはここで、このようなシステム階層を一挙に実体化するつもりはないが、「表象=思考の財産目録」と書いたのは、このような運動学的身体のことなのだ。身体運動の捉え方は、長らく近代科学の客体的現象であり、記述法はその平板(普遍)的レベルに固定化されてきた。(下手をすると、認知=運動システム論だって科学的客体化の論に陥るおそれなしとしないが)昨今の技法論には、このような近代的運動記述を克服する主観的現象への回帰傾向が認められるけれども、上記の説のように、身体=運動の認知システムは「認知を認知する認知」という、己の尻尾を飲み込もうとする蛇のような無限循環であり、その輪を、どこかで断ち切って、これこそが秘伝なり、と自負する技法家の用語法に、大衆は満足しているのが実状なのだ。先のアーティスト・ダンサーの身体への問いかけにしても、こういうことが適用できるだろうと思う。 |
■ 気がついたこと |
No. | :48 | |||
Name | :花木 | |||
Date | :2002/12/11(Wed) 22:06 | |||
清水先生、お元気ですか。去年の今ごろは、修士論文で大変お世話になりました。ダルクローズの言説を理解し再解釈する作業は、苦しくて辛かったですが、本当に最上の経験であったと思います。 私は先週、今年最後のコンテンポラリーダンスの公演を終えました。私はNPO法人DANCEBOXという関西のコンテンポラリーダンス公演を統括する団体の会員です。そこでは、ダンスプロデューサーの大谷氏をはじめ、60年代以降ぐらいの日本の舞踏(ダンス)に深く関わってきた人々とお話する機会があります。私が気がついたことは、現在の舞踊家の目指す方向性と、教育や福祉方面のアカデミックな舞踊教育の重点の置き方が異なっているな、ということでした。私はどちらも経験しているので、その違いがよく分かります。もちろん、ニーズや状況によって違いが生じてくることは当然です。 決定的な違いは、まずアカデミックな舞踊教育はイメージや精神的なもの、道徳的なものをダンスのテーマに掲げ、そこからいかにイメージを広げて動きを作って行くかということに重点をおいています。従って、作品は非常にストーリー的であります(そのプロセスで子どもたちは話し合い、反発や意志の疎通などを経験することに教育的意義が主張されています。)一方、現場の舞踊家たちは“精神的なイメージ”などからは極力遠ざかろうとしてます。自分の肉体にどんな感覚が生じたか、どんな質の動きが生じたか、または生じさせるか、重心はどこにあるのか、パートナーに体重を任せたり任せられたりしたときの筋肉の感覚などを重視しています。もちろん厳密な調査をしたわけではありませんので、一概には言えません。しかし、舞踊家たちも一般向けのワークショップや、子どもたち向けのワークショップを行っています。 私も神戸大学でダンス実習のTAをしたり、いまダンスの非常勤講師をしていて思うことは、理論たてられた舞踊教育の方法がうまくいきやすいということです。しかしながら、実際にダンス創作公演活動をし、今のダンスが目指す方向性と直面していると、ギャップを感じるといいますか、舞踊教育が少し古い論理ではないかと感じます。ふと、お互いの分野の方々はもしかしたらお互いを全然知らないのではないか、と思うこともあります。私は幸いにもその間にいる立場だと思うのですが・・。自分のすべきことを模索中です。 |
■ ご無沙汰しております。 |
No. | :47 | |||
Name | :川崎博道 | |||
Date | :2002/11/09(Sat) 00:56 | |||
:hiromich@pg7.so-net.ne.jp | ||||
清水先生、ご無沙汰しております。 身体行動論講座4回生の川崎博道と申します。 私のことを清水先生は覚えていらっしゃらないかもしれませんが 私は清水先生に何度も叱って頂いた記憶があります。 このたび、大学院試験に合格しました。 齋藤先生の下、2年間心身ともに成長していきたいと考えております。 清水先生の日記はちょくちょく拝見させてもらっています。 金沢にもいかれたのですね。 私は金沢に18年住んでおりましたので 清水先生の日記に登場してくる金沢の地名、店名、よくわかりました。 KKRホテルの場所も。 清水先生の日記を読ませていただきつつ 金沢の懐かしい雰囲気を思い出し 院試の勉強をしていました。 私の卒論は外国文献が対象のため 資料収集の方法などで悪戦苦闘しています。 今は卒論に追われている毎日です。 これからも頑張っていきますのでよろしくお願いいたします。 |
■ Re[45]: お誕生日 |
No. | :46 | |||
Name | :しげさん | |||
Date | :2002/10/30(Wed) 10:00 | |||
:olympos@shgshmz.gn.to | ||||
花木さん 元気にダンスしているんだね。カフェでの即興ダンスって、昔、福岡で娘と会っていたとき、狭い場所でちょっとだけ踊ってくれたのを思い出しました。どこででも表現できるってことは、文化の強さですよね。いろいろ、経験を積んでいってくださいね。 ぼくは、いたって元気に毎日を楽しんでいますよ。2年目ということで、暮らしのリズムもできております。 また会いましょう! |
■ お誕生日 |
No. | :45 | |||
Name | :花木 | |||
Date | :2002/10/29(Tue) 23:01 | |||
またまた、ご無沙汰しておりました、花木です。お元気でいらっしゃいますか。そして先生、お誕生日おめでとうございます!! 1年がたつのは本当に早いですね・・・。私は先日、小さなCafeで即興的ダンス公演を行いました。お客様はケーキを食べながら・・・。視線を受け止めるのがたいそう重たかったです。劇場というのは、観客と演者の双方にとって一番納得のいく形式であることを改めて感じました。また非常勤講師のほうは、まったくダンスとかかわったことのない学生さんを相手に悪戦苦闘しております。毎回全力出していますので、次の日はかなりからだが辛いですが、非常にやりがいを感じております。。 |
■ Re[43]: お久しぶりです |
No. | :44 | |||
Name | :しげさん | |||
Date | :2002/08/29(Thu) 17:16 | |||
:olympos@shgshmz.gn.to | ||||
花木さん、久しぶりです 踊る人間たちの集団というのはどんな雰囲気なのかぼくにはよく分かりません。でも、あなたが、その中から課題をつかみ、やがては自分の思想(=言語化された身体)と動き(=身体化された言語)を集団の表現に投入していける場なのだろうと思います。ダルクローズを研究したときの姿勢でますますがんぱってください。 実践者として、なにか気づいたことがあれば、また、このような場で公開して欲しいとおもいます。 |
■ お久しぶりです |
No. | :43 | |||
Name | :花木 | |||
Date | :2002/08/27(Tue) 21:58 | |||
:hanakisaori@mail.goo.ne.jp | ||||
清水先生、ご無沙汰しておりました。私はとにかく毎日頑張って生きています。今現在のコンテンポラリーダンスを生み出している、現場の人々との交流をさかんにしているのですが、非常に刺激的であります。私も小さなダンスカンパニーに属し、ソロ・集団のダンス公演活動を続けています。稽古はとても興味深いです。自分のからだに徹底的に向き合い、その蓄積した記憶を再発見したり、又は他者から投げかけられた“言葉”に自分のからだがどう反応し、どういった新しいダンスが生まれてくるのか模索します。さらに、自分の感覚や感触を、どんどん言語化していくお稽古をしています。そういったことを繰り返すうちに、日常の自分のからだのあり方、からだを取り巻く状況がなんと“私”を形作っていることか、再認識するようになりました。生まれた時から、様々な状況を乗り切ってきてくれたんだ、ととても謙虚な気持ちになったりします。後期から半年間、私は(週一度ですが)短大でダンスを教えることになります。からだをめぐる授業というのは、責任重大なんだなあ・・と改めて思います。そうであっても、私が心からやりたい仕事であることは事実で、なんとか続けて場を得たい願うばかりです・・・。昨年、先生にご指導して頂いたことは、ずっとずっと考えつづけて行くための土台であると実感しております。 |
■ Re[41][40][39]: no title |
No. | :42 | |||
Name | :しげさん | |||
Date | :2002/08/20(Tue) 08:34 | |||
:olympos@shgshmz.gn.to | ||||
朋子さん、わかりました。返事送れてごめんなさい。 スポーツが現代人(のどんな人たち)に影響をあたえているのか、という質問は、現代人がスポーツに何を期待しているのか、スポーツ(のあり方)にどんな影響を与えているのか、という双方向の視点が必要ではないでしょうか。 現代は、社会の高齢化とか地球温暖化とか、従来、不変ないし自然と思われていた人間生活の基本軸が動いてしまって(あるいはそのように思えて)人間を考える時の基本になるパラメータが多様化しておりまして、価値多様化の時代などと言わざるをえない時代になっていますよね。 そういう不安定な、あるいは頼るものが分からなくなっている人間の精神状態が、スポーツを(戦後だけ考えてみても)大きく様変わりさせている…、というように考えていくこともできるんじゃないかな。また、逆に、そういう精神状態を癒す働きを、スポーツがしている(そのように機能させている人々もいる)とすれば、スポーツが人間を変えるというのは、どういうことなのか、つまり、スポーツの教育学というのは何なのか…、というように考えをすすめていくこともできるんじゃないかと思います。 あなたのストレートな考えをしりたいですね。ご質問などもありましたら、遠慮せずにしてください。 ぼくの場合、クーベルタンという人が第一次大戦前後のフランスならびにヨーロッパでの上記のような歴史的状況で、どんな仕事をし、なにを教えてくれるのか調べています。クーベルタンについてはこのサイトのあちこちで読めるようにしていますので、ご参考ください。 |
■ Re[40][39]: no title |
No. | :41 | |||
Name | :朋子 | |||
Date | :2002/08/17(Sat) 18:22 | |||
返信ありがとうございました。スポーツは現代人の精神にどのような影響を与えているのか。与えるべきなのか・・・というようなことを調べています。 |
■ Re[39]: no title |
No. | :40 | |||
Name | :しげさん | |||
Date | :2002/08/10(Sat) 20:40 | |||
:olympos@shgshmz.gn.to | ||||
投稿ありがとうございます。 「しっくりする」ってどんな面でかなぁ…。 スポーツのどんな面でのあり方を調べているのか、また詳しくおしえてください。 |
■ no title |
No. | :39 | |||
Name | :朋子 | |||
Date | :2002/08/10(Sat) 17:52 | |||
スポーツのあり方について最近調べています。このページはとても勉強になりました。関連する本も探してはいるのですがどうもしっくりくるものが見つかりません。何かおすすめのものはあるでしょうか?? |
■ 大阪オリンピック招致 |
No. | :38 | |||
Name | :清水重勇 | |||
Date | :2001/05/16(Wed) 20:09 | |||
:shgshmz@basil.ocn.ne.jp | ||||
URL | :http://www.shgshmz.gn.to/shgmax/public_html/ | |||
今日の新聞で見たんだけど、大阪のオリンピック招致が北京、トロント、パリに遅れをとったようなIOC報告書が提出されたらしい。知事は交通混雑問題と施設建設の財政問題以外は別に遅れをとったとは思っていないらしい。でも、IOC委員の接待スキャンダル以来、2004年の候補地決定までに、大阪ができることは次回の説明の機会しかないようだ。オリンピック大会の開催というイベントは、さまざまな経済効果をもたらすには違いないけれど、ここ数回のオリンピックイベントは、少なくとも人間や自然を大切にするという方向で国際的世論を引きつけようとしてきた。つまり、どこかに普遍性のある思想が入っていることが要求されているということを知らないで、ただ、経済効果だけを追求するようなことは、もう古い行政態度だと考えました。大阪がそうだと結論することは、早計だけど、なにか大阪オリンピックには「たこ焼き」の気安さに象徴される人間性はあるけれども、それがどの程度の普遍性とつながっていくのか、大阪人は考えるべきだろう。 |
■ Re[36]: いい感じですね |
No. | :37 | |||
Name | :清水重勇 | |||
Date | :2001/04/28(Sat) 08:22 | |||
:shgshmz@basil.ocn.ne.jp | ||||
URL | :http://www.shgshmz.gn.to/shgmax/public_html/ | |||
川崎君、さっそく見てくれたんだね。どうもありがとう。 また新年度がはじまったんですね。生徒たちをその気にさせるのは簡単なことじゃない。学級通信《さわやか1年6組》この一年、どんなことになって行くのか楽しみです。成功を祈ります。 退職して一ヶ月たちました。新生活のリズムがまだできていません。傾向としては座りがちです。運動不足ということより、精神的な活発さを多方面に広げることで動けるようにしたいと考えています。 連休は今日から、また燕温泉へ出かけます。行ってきます。 |
■ いい感じですね |
No. | :36 | |||
Name | :川崎光二(S59卒)ラグビー部 | |||
Date | :2001/04/27(Fri) 20:39 | |||
:hce13401@hcc1.bai.ne.jp | ||||
お色直ししてさわやかなイメージになりましたね。いい感じですね。 私は4月から高校一年生の担任をやっています。毎日、学級通信を出しているんですけど(初めての試みです…がらにもなく)、クラスで学級通信のタイトルを応募させた結果、《さわやか1年6組》になりました。 本当、毎日しんどいんですけど、この際『《さわやか》をコンセプトに頑張っていこか』と決意しました。朝からちゃんと来れない子たちばかりなんですが、根気強く指導して行くしかないと感じています。 ゴールデンウイークは神大ラグビー部のOB総会(4/29)やら定期戦(三商大戦5/3,5/5)などがあり、これもまた大変です。 清水先生、引退したら暇すぎるって事はないですか?それでは、また。 |
■ お色直しです |
No. | :35 | |||
Name | :清水重勇 | |||
Date | :2001/04/27(Fri) 15:45 | |||
:shgshmz@basil.ocn.ne.jp | ||||
URL | :http://www.shgshmz.gn.to/shgmax/public_html/ | |||
文字色や背景をアレンジしてみました。それと、皆さんのこれまでの投稿ですが、ご覧と通りうまく復旧できました。また、読んでみてください。 |
■ 検索すれば出てくる |
No. | :29 | |||
Name | :清水重勇 | |||
Date | :2001/04/27(Fri) 14:13 | |||
:shgshmz@basil.ocn.ne.jp | ||||
URL | :http://www.shgshmz.gn.to/shgmax/public_html/ | |||
何とかログファイルを救い出しました。でも、画面には出なくて、検索(Search)か過去ログ(Pastlog)のページを開いて、投稿者とか話題の中のキーワードを入力すれば、ヒットする投稿が並んで出てきます。これで勘弁してください。 |
■ Re[27]: 勉強になりました |
No. | :28 | |||
Name | :清水重勇 | |||
Date | :2001/03/20(Tue) 18:27 | |||
:shgshmz@basil.ocn.ne.jp | ||||
URL | :http://www.shgshmz.gn.to/shgmax/public_html/ | |||
> ところで、このチャットページは、古いものは自動的に削除されるのですか? 管理者である私の方では、最初の英語の投稿を削除した覚えはあるんだけど、「次のページ」ボタンを押しても残りが出てこない。過去のログファイルがどこかに残っているはず、と思うので調べてみます。どうもすみません。 先週の四日間は燕温泉での学会仲間たちによる送別会、日曜日は体操部の送別会でした、明日は前学科長として有馬温泉の送別会に出ます。もう、頭が朦朧としています。 |
■ 勉強になりました |
No. | :27 | |||
Name | :山本祐子 | |||
Date | :2001/03/19(Mon) 23:10 | |||
:yymsh@mwc.biglobe.ne.jp | ||||
外国事情など、とっても興味深く、勉強になりました!昔、私のクラスにもアメリカ帰りの男の子がいて、現地の学校に行ってたらしく、そこでは「ジャップ、ジャップ」と言われ、いじめもあったそうです。とてもおどおどした感じでした。言葉が通じない上に、子供にとってつらい経験ですよね。その中でせっかく身につけてきた英語も、使う環境がなくなると忘れてしまっり、、、。 それでも、私は昨年からキッズ英会話を併設してみたのですが、まず親から聞かれることは「講師は外国人ですか?」 外国人とコミニュケーションをとれる環境はとても魅力的だけど、それだけじゃだめだと思うんだけど、、、。子供の顔や心を見て教育的配慮を取れる人がいて、そして外国人がいて、だと思うんだけど、そんなのはどうでもいい感じ。 昔、学校に来ていたイギリスのATは、ハンディキャップを持った子供のことをすごく勉強していたりしていい人だったんだけど、授業では、日本の子供が当てられてうじうじすると、すぐにカッとなって「わかるかわからんか、はっきりせー」と怒っていました。それで傷ついた子もいっぱい。もちろん、人によると思うけど、文化の違いなんだなあという気もしました。自分の意見を言えない日本の教育も考えなきゃいけないと思うけど!! 今は、我が子の教育の難しさを考えさせられています。 教育書の下りを見ると、すごく読んでみたくなります。(実際はなかなか読めていませんが、、、)これから、親同士、いろんな子育ての話をしながら、親の立場として教育について考えていきたいと思っています。(いろんな子供を抱える親がいます) 教育って、本と奥が深いですよね。また、みなさんの意見、聞かせてください。先生の夢が実現したらいいなあと思っています。夢を目指すってステキですよね(久々にまじめに書いてみました) ところで、このチャットページは、古いものは自動的に削除されるのですか? |
■ Re[25]: 障害児と外国の方との交流? |
No. | :26 | |||
Name | :清水重勇 | |||
Date | :2001/03/13(Tue) 08:02 | |||
:shgshmz@basil.ocn.ne.jp | ||||
URL | :http://www.shgshmz.gn.to/shgmax/public_html/ | |||
今の日本の障害者への理解の拡大(深まりとはいえない)は、カナダやアメリカ、フランス、ドイツ、など先進西欧諸国の社会で、人間についての根本的な考えの改めがあって、その影響が日本にも及んだからだと思う。日本および日本人は常に外国に対して「防衛的」な姿勢を歴史的にとってきたので、今回も同じことが言えるかもしれない。日本にはそれよりはるかに前から男女平等や部落差別問題が起こっていたけれども、障害者をも含めてノーマライズという(言葉は適切とはいえないが)原理で社会を構築する姿勢は無かった。 日本が先進国であるためにという防衛的な政治的動機がかなり働いているということは、例えば、パラリンピックが日本発のアイデアだったとしても、言えるでしょう。 西洋語のコミュニケーションは「私」で始まる発信が基本にあって、自分の存在のすべてを賭けて言葉を発信するのに対して、日本語のコミュニケーションは、文化的同質性にあぐらをかいた省略表現を志向するコミュニケーションだと言えるのではないだろうか。重度障害者の人々には、そんな高度な文化の恩恵にあずかるだけの脳機能が少ないだけに、コミュニケーションの原点へダイレクトに入っていけるんじゃないかな。ダウンの子の感情の豊かさも同じようにコミュニケーションの原点から出てくるような気がします。 牧君、有意義なコメントありがとう。おっと、もうそろそろ出かけなくては .... 。牧君のような経験、もっと他の人たちも教えてください。 |
■ 障害児と外国の方との交流? |
No. | :25 | |||
Name | :牧 秀矢 | |||
Date | :2001/03/13(Tue) 07:14 | |||
:maki-mail@mtf.biglobe.ne.jp | ||||
柳田君、頑張っていますね。 コメントを読んで、フッと思い出したことに、昨年イギリスの方(障害児に関わったことはないという話でした)がうちの学校に来て、障害児と一緒に過ごしたことがありました。 子ども達は、重度であるし、肢体不自由なので、言葉も通じないし、身振り手振りもできません。 だけど、子ども達は英語で話し掛けられたり、歌を聴いても、すごく楽しそうな表情で、普段の僕達の関わりと違った表情が見られたような気がします。 コミュニケーションで互いに構えることがなくって、ホントに気持ちを寄せ合う感じかなあと思いましたよ。 少し言葉がわかる子どもなど、一生懸命話し掛けて、相手も真剣に聞いて答えて、隣りで聞いていて、あぁ、僕も真剣に向かい合わないと、反省させられたことがありました。(^_^;) 国が同じ、生活が同じ、言葉が同じであることで、コミュニケーションができる!って思うけど、実は他人との関係が浅くなる可能性もあるのかな? おっと、通勤時間になってしまいました(*_*) 続きは、また今度書き込みます。 では、行ってきます。明日は卒業式!! |