アメリカの危機は内にあり

 朝日新聞(2002.9.24)「オピニオン」欄に注目できる記事が出ていました。前回はアーサー・ミラーの一問一答を掲載しましたが、今度もそれに関連して、アメリカの知識人が自国の現状を相対化する歴史的視点からの診断をしている(ぼくには珍しい)主張なので、以下にその全文をOCRテキストで作成したものを掲載します。アメリカにだって、こういう公正無私の学者はたくさんいるのだろうに、「ノブレス・オブリージュ」を持った政治家も学者も、あまり世界に向けて(世界のために)意見の発信をしていないように思えるのは、ここに登場するロバート・ベラーばかりではないのです。その意味でも、この発言者の見解は貴重なものだといえるでしょう。
 宗教社会学者ベラーの言葉やよし…。アメリカの知性(プラグマティズム)は自分たちのしてきたことを初めて意識しはじめたのです。プラグマティズムといえども、歴史には一つの普遍がぎりぎりのところで、ボロボロになりながらもまだ残っていることを認めないわけにはいないのではないでしょうか

テロは世界を変えたか

敵に似れば3度目の「敗北」…、「勝利」には報復ではなく交渉

宗教社会学者 ロバート・ベラー氏に聞く アメリカ総局・三浦俊章

「9・11」 米国史上の位置づけは

■ 同時多発テロ事件を米国史の中でどう位置付けますか。
 「若い人が『9・11は米史上最悪の事件だ』と言うのを聞くと、『君の人生では、という限定付きだろう』と言いたくなる。私が幼いころ、1929年の大恐慌は我が家に深刻な影を落としていた。みんなその日をしのぐのがやっとだった。30年代は、ヒトラー、ムソリー二、スターリンが権力の座にあり、日本が中国と戦争していた。新聞を取りに行くのは私の役目だったが、いつも大きな見出しが悪いニュースを伝えていた。ナチスドイツがオーストリアを併合し、チェコスロバキアを解体した。さらにポーランドに侵攻して第2次大戦が始まり、41年6月にはソ連にも攻め込んだ。そうした中で日本の真珠湾攻撃があったのだ。米国が被った軍事的敗北は同時多発テロをはるかに上回る。太平洋艦隊は壊滅し、東南アジアが日本の手に落ちた」

第2次大戦と冷戦

■ しかし、結局、米国は戦争に勝ちました。
 「我々が勝ったとそんなにはっきり言えるだろうか。戦っているうちに、敵に似てしまったという意味で、我々も敗北したのではないか。戦争初期に、米国はドイツによる民間人への無差別爆撃を非難したが、戦争後半には、米国が史上最も残酷な民間人への爆撃を行っていた。ドイツのドレスデンや東京を空襲し、広島と長崎には原爆を落とした。いま米国は『テロとの戦争』を戦っているが、我々自身も恐ろしいテロを行ったのである」「第2次大戦が終わると、次に冷戦が始まった。ソ連が倒れたのでみんな喜んだ。しかし、冷戦の間、また我々は戦っている相手に似た国家になってしまった。大統領の手に権力を集中して、憲法構造の外に国家安全保障国家をつくってしまった。反共かどうかという物差しだけで、海外の民主的に選ばれた政府の転覆に手を貸し、独裁国家を支援した」
■ テロとの戦いは3回目の戦争というわけですね。
 「真珠湾同様、9・11は、恐るべき敗北だ。膨大な軍事予算に加えて、連邦捜査局(FBI)や中央情報局(CIA)があるにもかかわらず、自らの命を投げ出すことを恐れない19人に完全な奇襲攻撃をやられた。テロ後の愛国心の盛り上がりの中で、みんなこの敗北の意味をほとんど無視している。米国人がこれまで当然のように持っていた『この国は安全だ』という感覚は永遠に失われた。米国の富と力をしても、こうした事件は今後も防ぎ得ないのだ。これは米国人にはなかなかのみ込めないことだ」「ブッシュ大統領は『この世界から悪を取り除く』と言っている。古風で宗教的な議論だ。しかし、悪と戦っているというブッシュ大統領の言葉は、奇妙なことに、ビンラディン氏と似ている。お互い鏡をのぞき込んでいるようなものだ。テロとの戦いでも、我々は敵に似てきているようだ」
■ テロとはどう戦うべきだとお考えですか。
 「テロとの戦争は、麻薬との戦争、貧困との戦争と同じように終わりがない。この種の戦争に勝利した例は思いつかない。スペインの『バスク祖国と自由(ETA)』、スリランカの『タミル・イーラム解放の虎』、カシミール地方のイスラム過激派。こういったテロの例を考えると、『勝利』の見通しというのははかばかしくない。数十年にわたる努力にもかかわらず、英国はアイルランド共和軍(IRA)を破ることはできなかった。IRAの代表を和平プロセスに入れて初めて、なんとか不安定ながらも和平が達成されたのだ。報復ではなく、交渉によってしかテロは『打ち破る』ことはできない」

世界的視野の欠如

■ では、いま米外交は何をすべきでしょうか。
 「まず民主的なアフガニスタンを建設することにもっと協力すべきだ。それから、イスラム圏の中で最も自由民主主義に近いトルコヘの経済支援を強化せねばならない。イスラエル・パレスチナ紛争も放置すべきではないし、イランの改革路線も支援すべきだ。つまりイラク周辺の国を安定した民主主義国家にすることだ。そうすればフセイン政権は手を出せなくなる。イラクヘの攻撃は周辺国家を不安定化し、すべての努力を押し流してしまうことになる」
■ しかし、米国民は大統領の強硬姿勢を支持しています。
 「今回ほど、一般の米国民とインテリとの間で大きなギャツプが生じたことはない。ほとんどの国民は、古風なまでの愛国心を見せている。一方、インテリの間には最初から相当な懐疑心があつた。そもそもインテリは国民より『左寄り』だし、00年の選挙戦を考えると、ブッシュ大統領が正当に選ばれたと思っていない人もいる。しかし、もっと大事なことは、米国だけの視点で考えるか、世界的な視野を入れるかという違いだ」「いま実に奇妙なことが起こっている。米国が軍事的、経済的、文化的に世界の中心になっているときに、米国民がますます外の世界に関心を失いつつあることだ。米国民は新聞を読まなくなり、テレビも硬いニュースよりは、誘拐や銃の発砲事件などローカルニュース優先だ。国際ニュースを見る人は限られ、インドとエジプトの区別がつかない人が増えている。パキスタンやアフガニスタンに至っては謎の国でしかない」

「金もうけ」のツケ

■ そういう国民には今回のテロはどう映るでしょうか。
 「米国はこんなに完全な理想的な国なのに、なぜ私たちの国を嫌う人がいるのだろうと思っている。世界で何が起きているか、現代史を理解していないのだから、米国民には事件は完全なショックだった。ベトナム戦争が終結して30年近い。この間、比較的安定した時代だった。冷戦は終わったが、東側が自壊したのであって、第2次世界大戦終結のような喜びの反応はない。この間、米国民は金もうけに専念してきた。世界や歴史に関心がないから、テロが起きた意昧も分からない。多くの人が個人の思い出を語り、消防士を英雄視し、9・11を心理ドラマに仕立て上げた。しかし、世界史の中でこれが何を意味するのかを考えない」
 「エリートのあり方も変わった。伝統的な東部の指導層は、自分たちの利益だけでなく、すべての人のことを考える『ノプレス・オブリージ(高い身分に伴う義務)』という発想があった。しかし、80年代以降、西部からワシントンに乗り込んできたエリートは市場万能主義で、入のことなどかまっていない」
■ いまやイラクヘの武力行使が現実化しつつあります。
 「62年に旧ソ連がキューバにミサイルを配備したキューバ危機のとき、先制攻撃を主張する軍部に、当時のロバート・ケネディ司法長官が、『我々は真珠湾(のような奇襲攻撃)はしない。米国のやるべきことではない』と反対した。現政権はそういう判断力を持ち合わせていない。フセインを倒せばすべてがうまくいくということにはならない。中東全域を不安定化してしまうだろう。世界に関心を失った米国民はそういうことが分からないから、ブッシュ政権を追認しているのだ」

沈黙続ける指導者

 「奇妙なのは戦争に反対の声を上げているのは、スコウクロフト元大統領補佐官ら共和党員だ。なぜ野党民主党はこんなに沈黙してるのか。憶病に見られるのを恐れているからだろう。かつての公民権運動を指導したキング牧師や、ベトナム戦争に反対したフルブライト上院議員のように、自ら立ち上がり、反論する指導者がいない。イラクとの戦争を国民がほんとうに歓迎するとは思えない。だが、それを明快に口にする指導者がいない。この真空状態が問題だ」
  


ロバート・ベラー
 米カリフォルニア大バークリー校名誉教授。ハーバード大博士号。日本の近代化の成功要因を明治以前の文化的伝統に求めた「徳川時代の宗教」で、日本思想史の丸山真男から高い評価を受けた。その後、宗教社会学者として、米国民の神をめぐる独特の考え方を「米国の市民宗教」ととらえ分析した。若手学者と共著で米社会の個人主義と公共生活との関係を探った「心の習慣」はベストセラーになった。私的利益だけを尊重する過剰な個人主義が米社会をむしばんでいると警告する。75歳。

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