朝日新聞2005年1月8〜9日、文化欄

新春座談会「思い出づくりのいま」

デジタルで記憶ごっちゃ

 このごろ日本にはやるもの、ビデオ、デジカメ、プリクラ……。現代人って、懸命に「思い出づくり」に励んでいるよう。その一方で、薄れていく戦争や震災の記憶をどう受け継ぐか、課題もある。哲学者の鷲田清一さん、美術家のやなぎみわさん、女優の藤谷文子さんに、《思い出づくりのいま》を読み解いてもらった。

家族も友情も「ごっこ」に 鷲田さん

鷲田 私は「思い出」がほしいなんて思わず、思い出から自由になりたいと思ってました。でも現代は、一生懸命つくらないといけなくなつているようです。
 詩人の佐々木幹郎さんからこんな話を聞きました。不登校の中学生を一時、預かっていた。その子が修学旅行の近づいた頃、突然、実家に帰ってしまった。佐々木さんの家では楽しそうだったので理由を聞いたら、「だつて、(学校の)思い出がなくなるやん」。
やなぎ じゃあ、思い出はなくてもいいものですか。
鷲田 そうは言わないけど、聞かれたくない、忘れたいことだってある。頭では忘れても、体が忘れていなくて、何かをきっかけに浮かび上がる場合もある。
藤谷 私の場合はにおい。骨董品店に入って、「あ、これは小学校の時に友だちだった子の家のにおいだ」と思うと、その家の玄関に漫画がいっぱいあったことまでよみがえってきたり、とか。
やなぎ 私のにおいの記憶は、阪神大震災ですね。私は京都に住んでたんですが、神戸の実家と連絡がとれなくなり、4日ほど後に大阪港から船で入った。降りた瞬間、においが押し寄せてきて、テレビで見ていた被災地の様子とは、まったく違う印象を受けました。そんな感覚って映像では残せないし、伝わらない。
鷲田 人の体臭もすごく印象に残る。特に外国に行くと、そこの人たちの体臭を感じる。
やなぎ パリなんて、空港に降りた瞬間に化粧品のにおいでクラクラしますね。
藤谷 私は、相手の本質を知りながら接しようと思えば、その人のにおいも感じたい。それを消されたり、香水で紛らわされたりするのは寂しい気がします。
やなぎ 藤谷さんの世代は、思い出ってどうしても作りたいものですか。
藤谷 プリクラつて、ちょうど私が高校生のころからはやりだしたんだけれど、なぜ、というのは難しいですね。
鷲田 そのご両親は、ビデオで子どもの運動会などを再生する時間がないくらい撮つた世代。メモリアルなものが写真からビデオになり、プリクラが登場し、何か大きな意味の変化が起きた。
やなぎ デジタル技術が時間軸を完全に壊しましたね。昔も今も同じに見えて、時間の距離感がむちゃくちゃになってしまった。
鷲田 家族がビデオで記録を残すようになったころ、ファミリーレストランが浸透した気がします。家族一緒の食事が少なくなり、週末に「家族する場」としてファミレスヘに行く。ビデオで記録をするのも「家族ごつこ」のよう。友達とのプリクラも、「仲良しごつこ」をしないといけなくなつたのではないでしょうか。
やなぎ 私もあまり過去や思い出を振り返りたいとは思わない。でも、「Granddauthters」という作品では、70歳以上の女性に、孫として自分のおばあちゃんのことをしゃべってもらった。
 おもしろかったのは、半世紀も亡くなった人の記憶を温めていると、別人の話なのによく似た思い出話になること。例えば、どのおばあちゃんも「私のおばあちゃんは伝説的な美人だった」と。すでに亡くなり、会ったこともない人が、自分の中に生き続けるような感覚になることもあった。

若者に「壊れもの」オーラ やなぎさん

…藤谷さんは、記憶をテーマのひとつにした小説「逃避夢」を書き、それが他の人の手で映画「式日」になり、主人公を俳優として演じる経験をされました。
藤谷 原作の小説は私が書いたものだけど、役者としてはそれを一回断ち切って、初めて見る気持ちで演じました。でも現場では、監督に「原作者としてどう思う」と質間されて原作者の立場に戻ったりもして、そのたびに、自分の役への見方や演技も変わった。不思議な体験でしたね。
やなぎ いくつか、演技ではなく本気じゃないか、というシーンもありました。
藤谷 数カ月間、一つの空間の中に入り込んでいましたからね。でも、一見アドリブに見えて、実は台本を一言一句も変えていないという部分もありました。
鷲田 やなぎさんの作品は人に話をさせながら、そこにやなぎさん自身が入り込んでいる。
やなぎ ただ自分の井戸を掘り下げるだけでは表現活動は広がらない。「Granddaughters」などの作品は、自分にトレーニングを課している感じですね。
 大学で教えていると、最近の20代の学生は他人に興味を示さないと感じます。だから演劇というのは効果的。誰かほかの人になりきって、その人の思考回路でものを言うのは、他人を理解する有効な手段だと思います。
鷲田 いま朗読ブームと言われている。朗読も演劇ですよ。他人の文章を読めば、その思考を自分の体で反芻することになる。
藤谷 演劇はしゃべるタイミングや歩くくせなど、その人になりきらないといけないでしょう。荒療治的な教育法ですね。
やなぎ 今の若い人は、やたらに「私は壊れやすいんです」というオーラを出している気がします。「人がいっぱいいるバスとか電車に乗るのは苦手です」とか堂々と言って、自分の繊細さを強調したがる。
藤谷 まるで弱いことが、いいことのようになつてきているでしょう。まず自分の弱々しさを見せれば、他人と比較的楽な関係を作れると思っているのかな。
やなぎ でも、純粋とか純愛というもので迫られる作品というのは、見ていてつらいものがあります。だれにも口を挟ませないような「純粋さ」を強調した作品が最近多いような気がする。

他人への想像力欠く軽さ 藤谷さん

…他人に対する興味がなくなってきたのはなぜでしょう。
藤谷 先日、電車の中で女子高校生たちが、イラクで首を切られて殺された人の話をしていた。笑いながら「見たよー」とか言って、殺害される様子を電車の中でまねしたりするんです。その時はムッときたんだけど、本当は笑いながら話すことではないと、彼女たちもきっと分かっていると思います。多感な年代だから、きっとその映像を見たときは怖かったはず。でも、それを悲しんだり、真剣に考えたりする方法が分からなくて、とりあえず笑っておこうとしているんじゃないかな。
やなぎ リアリテイーのないところに安住しようとしているんでしょうか。
藤谷 その方が楽ちんなんですよ。でも表現が楽になると、どんどん薄っぺらになっていって、本当に大切なことも他人に伝えられなくなる。
やなぎ 最近は写真コンテストでも、携帯電話による作品の募集枠を広げようという意見があるんです。対象に近寄るからいい写真が撮れる、というんですが、私は違うと思います。一眼レフを構えると、被写体との間に緊張感が生まれ、それがコミュニケーションにもなる。その緊張感がないものは作品じゃない。
鷲田 「思い出づくり」が、どんどん思い出を軽くしていっているんやね。
藤谷 その軽薄さが、他人への想像力を欠けさせる原因になっているんですかね。
鷲田 逆に、ギリギリのところでしか表現できない人もいる。例えば、頭に傷をつけて、あっけらかんと血で作品をつくる人を見たことがあります。今は苦痛がブームなのかもしれませんが、ヒリヒリすることでしかリアルを表現できないしんどさも感じる。
藤谷 みんなどこかで、他人とのコミュニケーションを求めている。手紙を書き、相手に手渡すことはコミュニケーションのための大切な儀式だつたのに、電子メールになったらそれをする場もない。だから、一足飛びに痛みを伴う表現になるのでしょうか。
やなぎ 痛みを伴う表現って、実は似てくるんですよ。トラウマを語る子つて、自分は特別な人間だと強調するくせに、実は共感してほしがつている。私の知り合いにもゴスロリの格好して、リストカットを繰り返すような子がいる。「自分のことを珍獣だと思つてください」なんて言うけれど、全然オリジナリテイーがない。「チン獣のチンは陳腐の陳ですか」と思わず言ってしまつて。
鷲田 うわ、きついなあ。

「わからん」から、話しよ

人はみな、違う記憶を持つ

鷲田 他人を「わかる」とは、つながるとか、仲間になることと思われているけれど、実は逆じゃないか。人間はみんな引きずっている記憶が違い、話せば話すほど「違うんだな」とわかる。それが本当のコミュニケーションだと思います。
 そう考えると、逆説的に今の若い人のコミュニケーションに希望がもてるようになるでしょう。他人はわからへんのや、というところから人間関係が始まるわけだから。
藤谷 いきなり本番に立たされて、混乱しているという感じですかね。
鷲田 今の若い人たちのコミュニケーションって、すごい実験なのかもしれませんよ。僕ら団塊の世代までは「言わなくてもわかる」というのを理想にしてたけど、これって実はコミュニケーションをいい加減なままにしてきたわけで、若い人たち以上にヤバいかもしれない。
藤谷 でも、10代で自傷行為をしたり、トラウマをやたら強調する人たちも、そのまま30代、40代にはなれませんよね。どこかで「このままではいけない」と気づかないと。
やなぎ 最近、30年前の高校生の学生運動を描いた『共犯幻想』(真崎守著)という漫画を読んで衝撃を受けました。4人の高校生が、主人公のトラウマを共有して結びつきを強めていくんだけれど、最後に彼のトラウマがすべて捏造されたものだったことがわかり、関係は破綻する。すごく痛い話。
鷲田 ひと昔前までは、10代の若者は、過去の思い出よりも、未来の夢を語ることの方が多かった。けど、最近の大学生は「高校生の時、ずっとこのままだったらいいのにと思っていた」と言う。つまり、今こそが人生のピークという感覚。将来は、今より悪くなることはあっても、よくはならないだろうと感じている。
やなぎ 私もある若い人に思わず「中学生並みやね」と怒ったら、むしろ喜んでいるので驚いた。発展途上であることがいいことだ、と思っている。
藤谷 私は10代で映画に出たり、家庭の状況もあったりして、早く大人になりすぎたのかも。小さい頃から、いろんなことを考えなくちゃといろ意識が強くて、常に先を見ていないとすごくこわい。未来に背を向けると、何がぶつかってくるかわからないという感覚でしたね。

共有させるための、想像力

鷲田 最近は美術の世界でも、過去の記憶にかかわる作品が増えています。ボルタンスキー(フランスの現代美術家、44年生まれ)のように。建築でも、ベルリン・ユダヤ博物館のように、「過去を忘れまじ」というモニュメンタルなものが目立っています。なぜ今、美術界は記憶をテーマに取り上げようとするのかな。
やなぎ 確かに80〜90年代、ボルタンスキやキーファー(ドイツの現代美術家、45年生まれ)ら記憶をテーマにした作品が目立ちました。私はアウシュビッツに行ったことがありますが、展示物からボルタンスキーの作品を見ているような印象を受けたんです。
 私はベルリンという街が好きです。東西を隔てた壁や第2次大戦時の銃弾の跡など、歴史の痕跡が残つているから。ベルリンの人々は、分断の不幸な歴史も、自分の人生に刻んでいます。日本の都市にはそうした歴史的痕跡はほとんど失われているので、うらやましいですね。
藤谷 戦争の跡など歴史の痕跡があちこちに残っていれば、紛れもない事実が迫ってきて、少しは影響を及ぽすんでしょうが、そうしたものが周囲からなくなったように思います。
やなぎ 70年代ぐらいまで、美術などの表現活動は歴史的なものを取り込んでいましたが、最近は見られなくなったんです。いまの人々には、起伏のないフラットな歴史の中に生きている感覚があるのではないか。大学生時代にバブル期だった私の世代は特にそう感じます。
藤谷 私たちの世代も、生きていることが実感しにくいと思いますよ。
…震災や戦争の記憶は、思い出したくないものかもしれない。どう継承すればいいのか。
やなぎ 一昨年の敗戦記念日に、テレビで第2次世界大戦のカラー映像の特集をやっていたんですよ。米軍が撮ったもので、原子爆弾を爆撃機に積むところや、沖縄のサトウキビ畑を進軍する米軍を見ました。これまでモノクロでしか見たことがなかったけど、カラーだとイラク戦争ともダブり、今までの記憶を塗り替えられるような力がありました。急に、戦争の時、母が見たものについて聞いてみたくなつたんです。
 その後、ノルマンディー上陸作戦で実際に撮影されたカラー映像と、同じ戦闘を描いた映画「プライベート・ライアン」を学生に見せ、違いをみんなで話しあった。学生が引きつけられたのは映画の方。ドキュメンタリーはカメラの台数やアングルに限界があるけど、映画は作り込まれているだけに、逆にリアリティーを感じたようでした。
鷲田 直接経験していないことを、自分の記憶にすることはできる。やなぎさんが、戦争の話を歴史の教科書で読むのではなく、お母さんに聞いたこともそうです。僕は戦争は直接知らないが、身体感覚として残っている記憶もあるんです。たとえば、子どもの頃見た傷痍軍人。見るのがつらく、いまだに夢に出てきますね。忘れたと思っていても、ふっと出てくるものがある。それを語り継ぐ中で僕らの共通の記憶になるのではないでしょうか。
藤谷 祖母に「爆弾落ちてきた時、どんなんやつた」と聞くと「きれいやった。みあげたら赤くて」って。おかしなこというなと思つたけど、そんな体験した人ならではの記憶は失われていくでしょうね。
やなぎ 私の母はイラク戦争の中継をみて、本当に泣いてました。爆撃を実際に体験していて、自分の家を焼かれた。だから、怖さ、悲しさがわかるというんです。

悲惨な記憶も語れば救いに

鷲田 阪神大震災は、ここにいる3人とも経験していますね。経験者にはまだ身体感覚として残っており、触れられると動揺する人も多い。阪神大震災10周年になりますが、知らないもののように検証したり、セレモニーにしたりはできないし、すべきではないと思います。
 僕らは個人の人生と同じく、社会もいつ「チャラ」になるかわからないと思い知らされたんです。水道、ガス、電気がなくなった時、最低限生き延びる知恵や、他者にどう言葉をかければいいかといった知恵を伝えていかなければいけない。社会が「チャラ」になりうる感覚そのものを伝える責任があります。
やなぎ 私はコミュニケーションを信じたいと思っていますが、震災ではリアリティーを共有する限界も感じました。被災地での協力体制の一方で、東京には大変さはなかなか伝わらなかったし。逆に地下鉄サリン事件の時は、東京の深刻さが関西にはわかりませんでした。
鷲田 震災の神戸を歩いて、おなかを減らして梅田に帰ってきたら、そこでは普通にレストランが開いてた、という、あの何とも言えん感覚がね。
やなぎ 私も神戸に水を運んで梅田に戻った時、デパートの食堂で泣いてしまった。
藤谷 住んでいた大阪の十三では、普通にご飯も食べられたし、水道も1日で復旧したし。でも、当時通っていたのが兵庫県西宮市の学校で、大変だった話を色々聞きました。ある先生が半壊したアパートから避難所に移った時、すぐ近くの高級マンションは何ともなくて、干したふとんをはたく音がパン、パンつて響いた。その話を聞いて、「なんだそのギャップは」とショックでした。
やなぎ リアリティーの共有は難しいが、あきらめたくはないですね。想像しきれないこと、理解しきれないことがあるが、話を聞き、相手に想像をはせることが大事でしょう。
藤谷 それができなくなったら大問題だと思います。
鷲田 震災が関西で起きたことで救いがあったのは、みんなが体験を関西弁で語ったことですよ。「地面が電線みたいになりましてな」とか「2階が1階になりましてん」とか。悲惨な体験は、少し距離を置かないと語れない。聞く方も上手に合いの手を入れる、関西の語りの文化に救われた面があると思う。
やなぎ ユーモアつて関西弁の力ですね。ちょうど震災のころ、ボスニア紛争でサラエボがすごい状態になり、現地のアーティストたちが「サラエボ旅行案内」なるものを出した。どうしたら水道を確保できるか、アパートの状況は、狙撃されたらどうするかなどをガイドする。完全に冗談の本だけど、そこに住む当事者が命がけで作っていたというのがすごい。関西弁の語りが、悲惨な震災の中で救いを感じさせたのと似ています。

実体験に、こだわらないで

…やなぎさんは、戦争や震災といつた社会的な記憶をどう受け継ごうと考えますか。
やなぎ 興味はあるけれど、作品にどう反映させるかはまだ考えていません。今、作っている作品も、自分の内面に向かつているもの。でも、外へ広がりたいというベクトルもあります。あくまで個人的なものを追いかけながら、普遍性を出せればいいな、と思います。戦争を取り上げるにしても、直接的に描くのではなく、身近なものを扱いながら、どこかでつながっているような形になれば。
藤谷 最近、すごくリアルな戦争の夢を見たことがあって、それを書き留めはしたけれど、小説などの作品にするのは躊躇してしまいました。本物の戦争を経験した人はいるし、遺族もいるし、ほかの国では本物の戦争があり、日本人も行っていますから。本物を知らない人間には、大きなハードルがあります。
鷲田 でも歴史というのは、だれかの体験が何度も語り直されることで固まつていくものだから。
藤谷 実体験しか表現できないのなら小説は書けないし、役者だってできませんよね。
やなぎ スピルバーグの描いた戦争も、大勢の体験者の話を聞いて、それを再現しようとすることでリアルな映像を作り出したんです。私たちの記憶も、そういうものをたくさん組み合わせて構築されているんだと思います。むしろ、自分の体験とは直接関係のないところに想像力を働かせるのが、大切なんでしょうね。
鷲田 私が好きな映画監督、河瀬直美さんの作品「沙羅双樹」で、主人公の父親がこんなことを言うんです。「忘れていいことと、忘れたらあかんことと、それから、忘れなあかんこと」。人間というのは、結局この三つを自分に言い聞かせながら過去を案配して、記憶を造形しているんじゃないでしょうか。
やなぎ まさに、歴史もそうやつて作られるわけですね。

…(おわり)…

藤谷文子さん

鷲田清一さん

やなぎみわさん

【出席者紹介】

藤谷 文子さん
ふじたに・あやこ 女優。79年大阪市生まれ。95年『ガメラ 大怪獣空中決戦』で映画デビュー。00年、自らの小説『逃避夢』を映画化した『式日』に主演。

鷲田 清一さん
わしだ・きよかず 49年京都市生まれ。関西大教授などを経て大阪大副学長。専攻は哲学。『顔の現象学』 『《聴く》ことの力−臨床哲学試論』など。

やなぎ みわさん
67年神戸市生まれ。美術家。写真にコンピュータで画像処理を加えた作品を発表する。99年VOCA賞受賞。連作『My Grandmothers』など。