わたしたちはスポーツ選手という言葉でどんなコノテーションを受け取っているのでしょうか?スポーツは80年代以降、顕著な高度化と大衆化を示し、スポーツ社会学者らはこの現象を指して《スポーツ文化》だと喜んでいます。そして、そのいわゆる《文化》が、スポーツ選手を芸能人やタレントのように、つまり真実と異なる世界の仮象的存在にしています。仮象もまた人間的真実の一つであるにしても、スポーツをする人間が、そのような仮象世界に身を売り渡すことによってのみ、おのれの選手としての価値を示しえないような気持ちになってしまうのは何とも悲しいことです。その上、競技水準の高度化や作為的なルール改正の結果、《選手》という人間性は機械のような物品にすらなり、ますます人間的なものを失っています。なにしろ、スポーツ競技はもともと言葉で語られる真実に対して肉体(ないし世界に投錨する肉体)の真実を顕在化させることで、言葉を克服するものだったのではないでしょうか。
  ピエール・ド・クーベルタンはそのような意味でのスポーツすら存在しなかった時代に、理想としてのスポーツを探索しその概念を普及させるために、さまざまな仕掛けを試みたのでした。たとえば、彼がオリンピック競技会の重要な部門として芸術部門を設けるよう提唱し、みずからの作品「スポーツ賛歌」を提出したり、多くの文芸人に対して、スポーツへの眼差しを促すことにより、ジャン・ジロドゥーやモンテルラン、ブラガ、プレヴォといった作家たちにスポーツ作家協会を結成させたほどなのです。スポーツとは何かを世に知らしめるには、こうした手法で概念の内包をかためることが必要だと考えたからです。

  さて、年末が近づくといろいろな業者が自社のロゴの入ったカレンダーを作って関係者に配布するしきたりがあります。体育大学にはスポーツ業者のカレンダーが配られるものです。ぼくはその一つを頼んで手に入れたのですが、おやっ…と目を引くものでした。それは一流の作家である村上龍の手になる選手寸評を配した月替わりカレンダーであり、その文には、スポーツの中の人間を描きながら人間の中のスポーツを描いていると思えました。
  ということで、とりあえず執筆者の了解は得ていませんけど、このぼくの文章の引用というかたちで以下に各月の文章だけをテキストとして紹介したいと思います。どこか違う…と思われる方は、まだスポーツを人間的なものにしていく力のある人だと言ったら失礼でしょうか?その違い、いったい何でしょう?教えてください。

ミズノ 2006年カレンダーより

スポーツの中の人間、人間の中のスポーツ

村上龍の選手寸評

【表紙】

  スポーツはさまざまな意味で、またいろいろな領域で、変化し続けている。より国際的になり、科学的になり、民主的になっている。だが決して変わらない部分もある。優れたアスリートだけが発散するある種のロマンチシズムである。

【1月】

  ハンマー投げには独特の知的な緊張感がある。他の投擲競技は肩や腕、足腰の筋肉の力を直接槍や砲丸は円盤に伝えて投げられるが、ハンマーはからだの回転、つまり遠心力を使う。あまりに速すぎて、わたしたちはハンマーが放たれる瞬間を追うことはできない。わたしたちは室伏宏治の雄叫びでその投擲が成功かどうかを知るのである。投擲者のからだは恐ろしいスピードで回転し、しかもコントロールされている。からだの回転のスピードを上げること、そしてそれを制御すること、言葉にするのは簡単だが、その二つは本来的に矛盾している。その矛盾を克服したとき、つまり納得できる投擲ができたときに、彼の全身はきっと喜びに包まれるのだろう。あの室伏広治の雄叫びがわたしたちの心を打つのは、非常に困難な矛盾を克服したという一瞬の到達感による自然な反応だからと。

【2月】

  アルペンの選手たちは真っ白な舞台で小さな点に見える。そしてスラロームでもダウンヒルでも、選手たちはまるで広大なバックグラウンドと「共生」するように滑る。雪や斜面といった自然を「制圧する」ことなどできはしないということを他の誰よりも彼らは知っていて、わたしたちに伝えようとしているかのようだ。どの瞬間を切り取ってもまるで前衛的で卓越したダンサーのようなアルペンの選手たちだが、その中でもヤニッツァ・コステリッツの優美な滑りは特別だと思うのはわたしだけだろうか。当然のことだが、アルペンではバランスの良さや滑りの美しさではなくタイムが競われる。それなのに、彼女の滑りに接すると、まるで滑空する白鳥を見ているようで溜息が洩れるのだ。限界のスピードを制御しようという意図と試みは、きっとそれ自体が美しいのだろう。

【3月】

  ニューヨーク・ヤンキースの、打順6番くらいまでの打者たちはいろいろな意味でメジャーリーグを象徴している。ウォマック、ジータ、Aロッド、シェフィールド、ジアンビー、それらに松井秀喜が加わる打線は、相手ピッチャーにとっては脅威であり、たとえヤンキースの熱心なファンでなくても、野球好きだったらその名前を呟くだけで心が踊るだろう。彼らのバッティングフォームには微妙な違いがあるが、共通してスイングスピードが異様に速く、それでいて身体の重心がぶれることがない。巨人時代、いや高校時代から、きれいなフォームの選手だなと松井のことを思っていたが、メジャーに移籍してからさらに磨きがかかった。松井がバットを振ると、重心が身体の中心を貫いているのが目に見えるような、心地よい感覚を覚えるときがある。そういった錯覚こそが、スポーツだけに許された特権ではないかと思う。

【4月】

  ゴルフは、シンプルで多様なスイングと、それらを組み合わせた複雑な技術を要求されるむずかしいスポーツだ。そういったゴルフの特質はいろいろなドラマを生む。昨年のゴルフシーンでもっとも印象的だったのは、全英オープンの2日目、ジャック・ニクラウスとルーク・ドナルドの最終18番ホールだった。帝王のさいごのプレー、その最終ホールということで、セント・アンドリュースのローマン・ブリッジでは多くのメディアが数々の奇蹟を成し遂げてきた英雄を讃え、おびただしい数のシャッター音が響いた。そして、その隣にいたのが、破竹の勢いでゴルフ界を席巻しつつある若干28歳のルーク・ドナルドだった。それは、ゴルフというスポーツを象徴する美しく微笑ましい光景だった。常に大胆なゴルフを展開する、ルーク・ドナルドは、美術に造詣が深く、オフには絵を描くらしい。彼の脳裏には帝王の残像が刻まれただろう。そしてそれは若き挑戦者のさらなる飛躍につながることだろう。

【5月】

  オリンピックや世界陸上のトラック短距離の選手を見ていると、ある思いにとらわれることがある。この人たちに共通する遺伝子はあるのだろうか、という疑問だ。生まれつき人並み外れて足が速いという人間も確かにいる。だが、考えてみれば当たり前の話だが、そういった人たちが全部オリンピック代表にまで進むわけではない。たとえば末續慎吾はどうやってそういった「世界」に到達したのだろうか。「地面から力をもらう」そういう意味のことを末續慎吾が言うのを聞いたことがある。物理学的というより、哲学的な表現だ。地面、力、もらう、簡単な単語の組み合せなので一見誰でも理解できるような気になるが、本当に理解できる人はトップアスリートに限られるのではないだろうか。そういう言葉を聴くと、「世界」に到達する人に共通するのは遺伝子ではないということがわかる。事前に哲学的な表現が浮かんでくるような、厳密で科学的な思考と訓練を継続できる才能、そういったものではないかと思う。

【6月】

  サッカーのFW(フォワード)には他のポジションにはない独特の資質が必要だとよく言われる。キックやヘディングなどの技術が違うわけではない。特異性はその精神である。FWは自陣からもっとも遠い位置で、点を取るためにボールが送られてくるのを待つ。小学生サッカーでもない限り自陣からドリブルしていってそのままゴールを奪うのは無理だ。だから味方からボールがくるのを待つことがFWの主要な要素になる。それにサッカーは1点が他のボールゲームに比べて異様に重い。0−0も珍しくない。攻撃は99%失敗し、すべてのゴールは常に奇蹟に近いものとなる。つまりFWは奇蹟を起こそうと常に身構え準備しているが、その試みはたいてい失敗に終わる。99%の失敗の苦悩と、1%の奇蹟の歓喜がFWに刻まれる。だから優秀なFWほど、狡猾な老人と奔放な幼児が同居しているような精神性を身につける。柳沢敦もその一人である。

【7月】

  あるところで北島康介に会ったことがある。そこには大勢の人が集まっていて、サッカーを観戦していた。世界記録を出した直後だったが、水泳の北島だと気づく人はすくなかった。身体が目だって大きいわけでもなく、こうやって見ると普通の青年だな、とそのときわたしは思った。だがその数ヵ月後、アテネのプールサイドで見た北島康介は顔つきが違っていた。目の輝きが全然違った。リラックスと集中が混在し、冷静さと投資が同居している目だった。そして恐るべき勝負強さで、まるで当然のように優勝を決めた。表彰台の北島康介を見ながら、この「普通の青年」と、あの目の輝きはどこでどうやって結びついているのだろうとわたしは考え、結びつくという表現が違うのだと思った。普通の青年でいる時間があるから、レース前のあの目の輝きもあるのだと、そう思ったのだ。

【8月】

  女子ソフトボールに対して、わたしはすがすがしい印象を持っている。中学の頃、好きな同級生はソフトボール部のキャプテンだった。わたしは極めて不真面目な野球部員で、少しでも雨が降ったりグランウンドが濡れていたりすると練習をさぼり、バックネット裏の控え室で悪友たちとたわいないお喋りに興じていた。だがその同級生はソフトボールを愛していて、どんなときでも他の部員の先頭に立って懸命に練習し、常に声を出していた。わたしは練習中の彼女を見ながら、いい感じだな、と思っていたが、そのあと我が身を振り返って必ず自己嫌悪に陥った。わたしたちは帰る方向が同じで、歩いていると、必ず自転車の彼女に追い越された。追い越されるときに、村上君、さようなら、という彼女の声が聞こえると、そのあと数時間はいい気分でいられた。日本代表のソフトボールチームに声援を送るとき、わたしはいつも彼女のことを思い出す。

【9月】

  その姿を見るだけで、「これは絶対に勝つだろう」と思わせる選手はあまりいない。野村忠宏はその数少ない一人だ。いつも楽に勝っているわけではないだろうし、きっと想像を絶する厳しい練習を積んできたのだろうと、そう頭では理解しても、彼が試合場の畳に立った瞬間、この人が負けるわけがないと思ってしまう。闘志が身体からあふれているとか、もちろんそういった単純なことではない。絶対に勝つ、という自信に満ちているというニュアンスとも違う。相手を投げ飛ばしたい、それも今すぐに投げ飛ばしたい、というシンプルで強い欲望のようなものが野村忠宏の周囲に漂うのだ。単に勝つのではなく、投げ飛ばして勝つという意志。オリンピック三連覇という大偉業を達成した計15試合のうち、実に12試合が投げ技の一本勝ちだった。華麗で、しかも圧倒的に強い。その姿に憧れて柔道を始めた子どもは、おそらく数え切れない数に上るはずだ。

【10月】

  何度見ても感動のあまり涙腺が緩みそうになるシーンが二つある。一つは、マリナーズに移籍した年、ライトに転がってきたボールを取るや、矢のような送球でランナーをサードで刺したプレー。もう一つは、年間最多安打記録を破り、チームメイトがベンチから飛び出してきてイチローを囲み、祝福の輪ができたときだ。どちらもイチローという不世出の野球選手を象徴している。イチローには「孤高」のイメージがつきまとう。どんなにチームプレーに徹していても、その卓越した技術と精神力のために、どこか「独り」に見えてしまうのだ。「レーサービーム」とメディアに称されたあの三塁への送球によって、イチローはたった独りで、しかも一瞬にして、球場全体の雰囲気を変えてしまった。また最多安打記録達成のチームメイトの祝福は、イチローが本当は決して一人ではなかったことの証だった。独りでありながらしかも一人ではない、そういう矛盾した印象こそが、イチローに唯一無比の輝きを与えている。

【11月】

  わたしの世代にとって、もっとも強い印象を残す女子バレーボールチームと言えば、どうしても64年の東京オリンピックに遡ってしまう。繊維の企業チームが中心で、鬼という愛称を持つ監督によるスパルタ・トレーニングで鍛えられ、「東洋の魔女」と呼ばれていた。感動的な優勝のあと、わたしたち子どもはバレーボールの選手でもないのに回転レシーブを繰り返し真似て遊んだものだった。わたしは今でもあのときの選手の名前をほとんど覚えている。あれから40年以上が経過した。現在の代表選手たちは、あのころと様変わりしている。いろいろな意味で「魔女」ではなくなったが、それはもちろん日本社会における女性の変化の象徴と重なっている。どちらが優れているか、どちらが幸福なのか、そんなことは誰にもわからない。だが共通点もある。それはある競技を通して人生の充実を実現しようとする女性たちの可愛らしさと強さだ。

【12月】

  ラケットを握る福原愛を、いや「愛ちゃん」を見ていて、卓球という競技がこの世にあることの幸福、みたいなことをいつも思う。わたしは、知り合いでもないのに「**ちゃん」と誰かのことを書くのは好きではないが、この人だけは「愛ちゃん」と呼ばないと自分の中でイメージが違ってくる。わたしたちは、卓球台と身長が同じくらいの幼いころから彼女を見てきた。試合に負けて悔し泣きをしているところ、試合で独特のガッツポーズをするところ、初夢は何でしたか?という記者の質問に、レシーブの練習をしていました、と答えるところ、いろいろな映像が思い浮かぶ。つまり彼女の成長に立ち会ってきたのだ。中国のスーパーリーグに参加したとき、すでに流ちょうな中国語を話していて本当に驚いた。愛ちゃんは、メディアなどに対して言葉が少ないし、態度も控え目だ。だがこれほど表情が豊かな少女をわたしは見たことがない。