ジャック・グレーズ(Univ. Montpellier I)

知の考古学、雑観

「私ハ理解サレテイタノカ、ディオニソスカライエス・キリストヘ」(ニーチェ)

 18世紀初頭、ジアンバティスタ・ヴィコ(1688-1744) が『〔諸民族の共通性についての〕新科学の原理』を初めて出版した〔1725〕頃、方法と対象の違いから法則定立(nomothétiques) の諸学と個性記述(idéographiques)の諸学 (今日では、前者は自然・生命諸科学と呼ばれ、後者は人間学ないし人類学と呼ばれる) が区別された。道徳科学や精神科学(noologiques) は後者の類である。しかし、1827年、ジュール・ミシュレが『歴史の哲学』を著し、1725年のヴィコのテキストの抜粋を公刊するまで、1543年のコペルニクス以降、急速に勢力を増していった知識階級は、自分たちの知識の領域について違和感を感じ始めなかった。ヴィコは《普遍数学》とデカルト主義に正面から闘いを挑んだという点で天才的先覚者である。その闘いの故に、彼は存命中ずっと厄介者扱いされた。今日でも同じようなことがある。《メタ科学》(M.Foucault, 1966)ないし全科学の母体としての、歴史をはじめとする人間諸科学固有の方法論の創案者が厄介者扱いされている。この革新者によれば、個々の科学は《メタ科学》のそれぞれ独自のモデルであり、独自の秩序体系によってその確実性を定義づけているのである。(J.Freund, 1976) つまり、人間諸科学とりわけ歴史の知識は、数学的・定量的規範に照らすことなしに、それ自体として価値あるものだということである。〔Verum ipsum factum〕。
 ヴィコの思想は明らかに、18世紀の反啓蒙と物理学至上の絶対主義の中で光りを保っていた。その思想的系譜は19世紀に及び、今日の認識論的反省の絶ざる更新となって流れ続けている。それは知識論の分野において、主観に道を開き、道具的合理化に反対する(A.Touraine, 1992)思想である。ヴィコは「神の時代」の後に「英雄の時代」が来る、と述べた。アタリは「機械の時代、記号の時代」に続いて「人間の時代」が来ると述べている。(J.Attali, 1982)
 STAPSの研究者たちは現に、自分たちの知識の70%以上を人間諸科学の分野で生産しておりながら、この科学の過去と現在を見通す力がない。問題は基本的に、いろいろな理論体系(systèmes)に向かう行為者の自由性に立脚する人間の倫理の問題である。ハバーマス流に言えば、人間は《良き生活》と世界的道徳システムとの両立性を疑うように振る舞う(J.Habermas, 1992)、つまりディオニソス的なものとプロメテウス的なものとの両立を疑うように振る舞う。

ディルタイから早や一世紀...

 ヴィルヘルム・ディルタイ(1833-1911) は1875年、ドイツ歴史哲学の潮流の中で、フリートリッヒ・シュライエルマヒャーの思想の延長線上において、「自然は説明され、心的生命は理解される」と述べている。ここで彼は、人間諸科学独自の実証性を確立した父の姿である。実証性とは、この著者にとって主観でも客観でもあり得ない。説明する(erklären)とは、潜在的対象ないし非思考的なもの、人間の手でつくられた対象以外のものに向かう他、可能とならないような人間的事実の外面性(extériorité) と極小化(minimisation)を前提としている。理解する、把握する(verstehen) とは、逆に、人間によって人間のためにつくられた世界に戻ること、ポパーの言葉(1976)で言えば、その中で「蹴飛ばすことのできない」ような対象に戻ることである。したがって、これら二つの領域は対象の違いのために、一方から他方へ還元できない。この意味において、ポパーもバシュラールも、それ以前にオーギュスト・コントすら、二つの領域はその完成度が異なると考えた点において、根本的な間違いをおかしている。何故なら、「自然の諸科学は、その意図に関係なく、私たちを世界の決定論的概念へと方向づけるからである。人間諸科学は逆に、政治、経済、宗教、美学、教育学など研究対象が何であれ、人間の手でつくられた世界、ひとつの詩的世界を私たちに提示する。この二つの説明の一つが他より高級であるとか価値があるなどと考えるのは間違いだ。両者は共に不可欠である。但し、両者が互いに同一化される時代が来ることを期待するのは勝手だ。」(J.Freund, 1976) 以上のように、あらゆる問題状況から見て、ディルタイはヴィコが提示しておいたものを再提示している。ヴィコは人間諸科学に固有の解釈学と個性記述法の確立を求めていたのである。この二人は20世紀の終わりにミシェル・フーコーに受け継がれた。フーコーは人間諸科学のキー概念として、考古学の原理を明らかにし(1969)、《表象》(représentation)の概念を提起した(1966)といえよう。フーコーは認識論的構造の中に主体を滅却させた、という批判もなくはない。いずれにせよ、ディルタイもヴィコも共に、絶対主義者、実証主義者、物理至上主義者の立場で知識を読み取ることに対して、はじめて痛手を与えたのである。
 別稿拙著(J.Gleyse, 1991; 1993)によって明らかにした通り、今日STAPSの世界、自然諸科学、生命諸科学の世界、《サイエンス》の卑近な表象の世界、とりわけメディアの世界は常に、非道具的知の世界を盲点化(scotomiser)し、無意識に否定している。この意味において、広義の《科学・技術》は、ハバーマスの言うように(J.Habermas, 1973; 1987)最も純粋な合理性、最も未開拓の、最も盲点化され、イデオロギーから最も疎外された未知の事実を有難がるのである。

ニーチェ、フッサール他、STAPSが知らない人々

 ニーチェ(1844-1900) はディルタイとほぼ同じ時期に、単数定冠詞 la を伴うサイエンス (科学一般) (つまり、彼にとって《科学・技術》) が規定しているイデオロギーについて問題提起した。とりわけ『知の饗宴』の中の次の言葉は大へんドラマチックである。科学一般とは「愚の骨頂、すなわち想像可能なあらゆる解釈の中でも一番貧しいものだ。これは、今日、嬉々として哲学者たちと付き合っている機械論者の耳の向かって言っている。彼らは機械的なもの(la mécanique)こそ第一の、そして究極の法則であり、その基礎の上にすべての存在が構築されなければならないと絶対的に信じている。しかし、本質的に機械的な世界とは、本質的に馬鹿げた世界というべきだ。」(F.Nietzsche) これはニーチェ解釈のほとんどが引用する文である。ニーチェ的ニヒリズムは19世紀末の物理学至上主義、機械論的実証主義を恰好の餌食とした。つまり、ニーチェ的ニヒリズムは、科学・技術が得意とする還元論と関わって、世界の意味の喪失という現代の決定的問題の一つを提起している。今日の科学・技術は、もっと一般的に、道具化をめざす諸科学の総体となっている。同じ時代に、ディルタイが人間諸科学のために解釈学(herméneutique) の方法論を掲げることによって回避しようとしたのは、まさにこの機械論的還元論である。
ニーチェの方は、もっと遠くまで行き、事実をでっちあげる科学的推敲なるものを徹底的に批判した。この方向では、今日、ピエール・サンソ(Pierre Sansot) とかミシェル・マフェゾリ(Michel Maffesoli)といった人々が「共通感覚の社会学」を探究しようとしているが、ニーチェはその方法論の先取りをしていると言えよう。「山登りの苦痛は、山の標高の測定には何の役にも立たない。ところが科学一般なら、全くそうではない。苦痛は真実と見なされ、真実の価値を明確化するものとなる。」(F.Nietzsche) 彼が言いたいのは、凝りに凝った方法論がつくりだす仮想の真実は、必ずしも直観的真実より値打ちが高いわけではないということである。それは当然だ。なにしろニーチェは、ヴィコやディルタイと同じく、フッサールより以前に、トーマス・クーン(Thomas S. Khun, 1983)より遙か以前に、パラダイムやエピステメーの一過性ということを知っていたのである。ニーチェは直ちに、道具としての科学一般や科学・技術の代わりにヘーゲル思想を置き換えた。ヘーゲル思想によれば「哲学は時代の娘」なのである。それ故、ニーチェは次のように述べる。「諸科学は、魔術師、錬金術師、占星術師、魔法使いといった先駆者たちが居なかったら、けっして発展も拡大もすることはできなかった。あなたはそう思いますか。彼ら先駆者たちの約束と希望が、まず、秘められた力、禁じられた力への渇望と、その心地よい充足を教えたに違いない。」(F.Nitzsche)
上の言葉のいくつかが、もし、クライン派の精神分析の言う認識の欲動(épistemophilique)に影響を及ぼしたとすれば、そこで提案されていることは、まさに知の歴史事実化(historicisation) であり、また、生存界における知の明確な位置づけである。そうであればこそ、ニーチェがずっと後になって次のように述べていることも理解できる。

「科学一般とは(....)すべての現象に対して、その数を数えるために、記号による共通言語を創造する企てである。そうすれば、自然に名をつけることがたやすくなる。しかし、《観察された諸法則》すべての集まりであるこの記号言語は《何も説明してくれない》。それは生成するものの (できるだけ簡略な) 省略的記述のようなものでしかない。」(「ツァラトストラ」) フッサール(1859-1938) はこの思想的腐食土の上で科学を分析し、科学は人間生活に内在し分割しえないものだと述べることに、何らの痛痒も感じなかったに違いない。それ故フッサールは、方法論的真実ないし科学的絶対的真実などあり得ず、単に時と場所に則した真実のみがあるにすぎないと考えた。1936年、彼が『ヨーロッパ科学の危機と先験的現象学』を著した時、彼は自然諸科学を歴史事実とみなし、それらを文脈として捉えることによって、科学的事実を信憑性(véracité)の問題として相対化した。このことは彼以前には、人間に関する諸科学の分野でしか提示されたことがなかった。この意味においてフッサールは、当時まだ相当の勢力を保っていた実証主義を刷新した人である。つまり彼は、彼以後とりわけ優勢となった歴史的認識論の先駆者としても評価される。「自然科学一般は一つの文化であり、この文化を選んだ人類の文化環境にのみ属する。異邦人にとって、この文化の内部にのみ、この文化を理解できる手段がある。」(E.Husserl)

 フッサールを理解することは、特に、光の物理学における量子論の出現とも関わって、科学・技術型の知識観を相対化する結果を呼び、クロード・ベルナールの実験科学の方法論をも含めて、演繹と帰納の論理のみに頼らない多様な科学観を可能にさせた。この変革的状況の中で、合理性なるものは相対化され、主観としての《研究者》の視座を無意識に隠す(scotomiser)ことはできなくなった。

「自然を数学的に一般化する科学(La science mathématique de la nature)は、究極原因、蓋然性、確実性、演算可能性からの帰納を行うための素晴らしい技術の一つである。過去において、この技術は疑う余地のないものであり、説明の論理(présentation)として人間精神を支配した。しかし、この技術の方法・理論の合理性という面では、こうした説明の論理はどれも相対的なものである。この技術は、それ自体すでに、効果的な合理性の一つを全面的に独占するといった、根底的立場を前提としている。世界は捉えどころのない直観的なものであり、純粋な対象であるということが科学的課題設定の中で忘れられている。このことはまた、そこに働いている主体そのものが忘れられているということだ。学者が課題になりきってしまうなどということは絶対にない。」(E.Husserl)

フッサールはこの新鮮な見解に立脚して、次のように問題提起する。「世界の意味を分解し変質させることは、近代初期において疑い得ない真実とされた事実の、まったく分かりやすい結果である。これが、自然科学の方法の支持する理論モデルの役割、言い換えれば、物理的合理性の支持する理論モデルの役割であった。」
 こうした〔近代科学の〕結果は、フッサールにとって、打開しなければならない停滞状況である。何故なら、この停滞状況はまさに、科学《一般》と人間生活を結ぶべきものの欠落を意味するからである。彼以後、知の世界は全ての知に関わる社会的歴史的根拠、とりわけ知の起源としての主体性の問題を明確化できていない。いずれにせよフッサールは、諸科学を人間生活の中に位置づけることによって、後代が手がけることになる反省的思考のガイドラインを引いた。それは科学的事実(20世紀後半以降の)をめぐる歴史的真実の解明であるのみならず、研究室と研究者を対象とする社会学でもある。またそれは、言うなれば、知識人(70年代の)を一つの人間種族と見立てた民族学のようなものでもある。
 フッサールを精神的恩師とするアレグザンドル・コワイレ(1892-1964) は、特にガリレオ的思考ならびにその展開過程に関心を持ち、《大まかな》知識観から幾何学的厳密さ、ないし《無限宇宙の中の閉じた宇宙》といった知識観への移行過程を明らかにした。今日でも彼の名を冠する研究センターからは、彼の研究成果を多方向に展開する科学哲学者、科学史家が陸続として生まれている。彼は特に、アリストテレス主義との断絶ならびに、プラトン主義者たちの挫折(déréalisation) によって、新しい物理学が如何に成立していったかを描いている。要するに、ガリレオ的物理学が、その理論構築の過程で、如何に共通感覚と現実から遊離していったかということである。
かたやジョルジュ・カンゲランは、医学の起源史を描き、例えば、反射という概念の誕生(1955)あるいは《正常と病理》という新しい概念の誕生(1966)が、どんな協調関係、どんな社会的歴史的事実、あるいは概念・構造・ディスクールのどんな発展過程によって促されたかを明らかにしている。1945〜50年代の原稿の改訂版(1989)では、医科学を中心にして、生命に関する諸科学の枠の中で機械論的理論モデルが使用された事実に関心を向けている。クーンのごく最近の理論構成(conceptualisations) (初版 1955)が依拠しているのは、まさにこのカンゲランの示唆に富む論述の延長線上においてである。クーンは如何にして《パラダイムの発展》が物理学の中で形成されたかを示している。ポパーの理論構成は、歴史主義への批判 (初版 1956)であり《非決定性》(indéterminisme)論を主張した。また1980年以降、イリヤ・プリゴジンとイザベル・ステンジャーが物理学的決定論のニュートン的幻想を相対化し、単純なものと複雑なもの、偶然と必然に《新しい同盟関係》を結ばせようとしている。

科学《一般》に残されたものは何か

 以上のような認識論変革の環の中で明らかとなったのは、今日、《近代性》に立脚する諸科学は、その論理明晰性への責任の点でも倫理的イデオロギー的計画の点でも危機に陥っているということ、そして、科学的領域が道具的狙いで一般化しているような真実(réel)なるものは、簡単には受入がたいということである。質的なものが量的なものに向かって力を及ぼし、研究者は、如何に客観性を求めようとも、自分の主観性に捉えられる。人間ならびに世界に関する道具的合理化、そしてその後に続く自然と(主体としての)人間の破壊は、徐々にその評判を落としている。道具的狙いでの諸科学で名声を得た専門家のイデオロギーに対して、反功利主義的質的な科学一般の新しい概念が登場し、共通感覚を回復させ、自然諸科学の予言者的機能に対して説明的機能の価値を評価する。(R.Thom, 1991)
いずれにせよ、もはや今日、20世紀初頭に言われていたような科学《一般》について語ることはできない。STAPS(本当にそれが存立しているか否かは別として)のような複合的領域ではなおさらそうである。
 それぞれの関連領域に則した《いろいろな》科学、いろいろな合理性の形式がある。この意味において、生命ないし実験心理学的諸科学の形式化のみによって〔一つの一般的な〕領域を同質化することは、概念上の狂気だといってもよかろう。  ユルゲン・ハバーマス(1987)によれば、合理性の形式には次の三つがあるという。

 このことから直ちに、科学的合理性の三つの形式だけは定義されたことになる。しかし別の問題もある。これら三つを形式として認めること自体が問題なのだ。各々の言葉としての形式はどれも、言語という一つの分野で通用するにすぎない。そしてそれ以上に、各々の形式を成り立たせている仮説は、実際には、言語という分野そのものの中では立証できない。ルネ・トム(René Thom) はこれを称して「立論者のアポリア」と呼んでいる。このアポリア〔相反する合理的見解〕は科学のあらゆる分野に顕在している。
 この論拠に立てば、STAPSの領域を同質化しようとすることは、当然、虚しいことである。STAPSの領域には沢山の合理性の形式が認められ、また、沢山の立論者のアポリアが《〔いろいろと〕スポーツ的で〔いろいろの〕身体的な活動》(les activités physiques et sportives)(よく見ればまったく馬鹿げた表記法だ。この場合、「身体的」がどうしても「スポーツ的」を含む。)ここでの合理性の形式があるとすれば、それは、ハバーマスが巧みに描いた「ディスカッションの(ニヨル) 倫理」すなわち民主主義の倫理だけだ。
一方、ポール・フェイラバン(1979)の主張する「知の無秩序理論」といった大胆な思想に立脚するとすれば、知の進歩を目指して危険を冒すことが大切であり(ガリレオ然り)どんな方法も皆、何らかの対象との関係においてのみ整合性がある、ということが明らかとなる。となれば、曲がった立論、疑わしい立論を認め、それを表明させることこそ科学を成功に導く、ということだ。もっと科学を成功させるには、多くの雑誌でなされているように、論文の内容と書式に関する基準を厳格に守るよう要求して、著者たちを困らせたらよい。15世紀の宗教の動脈硬化は、STAPSであれ他の分野であれ、あらゆる科学的制度に同じような効果をもたらすかもしれない。

結  論

 今日、道具的科学〔一般〕に対して倫理的圧力が加わっている。私たちの分野もこの論議を免れない。免れないどころか、かなりの数のスポーツ行動(pratiques) は根本的に、肉体の道具化、肉体の道具的合理化を目指しているのだ。体育・スポーツの主要事項はこの理論モデルの上で機能している。STAPSの領域の中核となるいくつかの科学(それらがSTAPSに対して自分たちの規範と理論モデルを強要している)もまた、この道具的観点に依拠している。これら諸科学を景気づける企ては、現代の何らかの倫理の学によって分析されなければならない。(J.Habermas, 1992) 道具化志向の諸科学は、テクノロジー、テクノクラシーの力を徐々に強めることによって、私たちの領域ならびに肉体にかかわる諸科学における自然破壊(その極端なケースとして人間の肉体的自然の合理化)を段階的に導いている。こうした企ては倫理的に容認できるものだろうか。それ故にこそ今日、そのことについて論争すべきなのである。もはや《意識ぬきの科学》は許されない。科学一般ならびに技術一般の発達は、もはや政治的意志決定の領域を除外することはできない。今日、STAPSの領域でも他の領域でも、道具的合理化に反対する「世界の再呪縛化〔フタタビ不思議世界〕(réenchantement)」(I.Prigogine / I.Stengers, 1980)、ポスト近代性(J.F.Lyotard, 1980) などの論と連携し、主体への回帰(A.Touraine, 1992)が大切なのことである。以上の小節がその一助となれば幸いである。

訳者注釈

 著者は「政治的意志決定の領域」をも含めた、科学《一般》の現代的成立のための改革基盤として、フッサール的な「主体性」の回復に求めているが、この科学政策改革路線を《賢者の政治》 (プラトン) に依存することなく実現する戦略としては、ポパーの近代科学知の相対化論、ハバーマスの「ディスカッションの倫理」などを挙げている。しかしこれでは、何やらガヤガヤと喧しいだけの「皆で渡れば怖くない」科学論になりそう。
 ガリレオは《大まかな科学》を《厳密な》科学へと展開させたとするくだりでは、《大まか》さと「共通感覚」は同じ意味を含んでいるのかどうか。共通感覚の定義が曖昧。結論での「倫理」の意味も、近代科学に対して道徳的反省を要求するのであれば、近代人のディスクールを超えるものであるかどうか。それを要求する《主体》のディスクールが再び問題になる。共同体的科学=超近代科学では困るが、人文系学問 (個性記述学) の必要の論に終わっても困る。


1995.3.26. Trad. par Shigeo SHIMIZU
『私たちと近代体育』(1970)再考のために