朝日新聞2003.8.31.日曜版【書評】

脇田晴子著『天皇制と中世文化』吉川弘文館・231頁・2400円
わきた・はるこ 34年生れ。滋賀県立大教授(日本中世史)。著書に『室町時代』など。

宗教、文化の掌握で保たれた権威

評者:武田佐知子(大阪外国語大教授)

 なぜ天皇制は、古代以来、連綿と存続したのか? 歴史学が一貫して問い続け、いまだ明確な回答が得られないテーマに、中世史研究の立場で正面から切り込んだのがこの本である。
 戦後歴史学は政治・経済・軍事力という、いわばハード面のみを権力の源泉ととらえたため、室町期の天皇は無力であったと考えた。それゆえ、その天皇が明治に復権した理由について、神秘性や宗教性という、実体のわかりにくい事象を持ち出さざるを得なかった。
 これに対して著者は、天皇制存続の鍵は中世にあり、宗教・文化といったソフト面を天皇・公家が掌握、編成したことが要因であるとする。戦国末期、権力を無くした天皇には、権威のみが残った。その権威は、そもそも天皇、朝廷、そして"傘下にある宗教勢力を含んだ公家勢力,"全体の文化の高さに基づくものだった。
 一方、たとえば、被差別民の芸能師を担い手として各地の共同体の自治の高まりの中で発達した能楽は、武家や将軍家に受け入れられた段階で、神が天皇の治世を守り、天下国家の安泰を守ることが民の平和に通じるというメッセージを発する。また、戦国乱世下の『源氏物語』の大流行。それは「この物語が好色と政治性に富み、後ろ盾の弱い皇子のサクセス・ストーリーだから」で、大名たちの中央志向を助長し、宮廷儀礼のマニュアルにもなって、天皇の権威を支えたとする。
 このようにして著者は、中世の能楽、狂言、連歌、神道、さらに食器など、多方面の具体的文化事象を、豊富な知見と史料で裏付けながら、天皇制との関連で説いてゆく。文化の政治性、つまり文化の操作による人心操作は可能である、という著者の指摘は重要である。つまるところ、文化は権力であるということを明らかにした書だといえよう。
 表紙の写真の能楽「三輪」を演ずるのは、著者自身である。商業史、女性史、被差別民史、芸能史など、中世史の諸分野で研究をすすめて来た著者の深い造詣と、幼い頃から身についた能楽の素養とがきわめて有機的に結びついた、新しい視点からの天皇制論である。