イラク戦争の開戦から20日で1年がたつ。新生イラクの復興は遅々として進まず、テロが収まる気配もない。この間、世界はどう変わったのか。早々と米国支持を打ち出し、自衛隊の派遣にも踏み切った日本の対応はどう評価されるのか。3人の識者に話し合ってもらつた。
(司会オピニオン編集長・斉藤悦也)
〈文申敬称略〉
酒井啓子氏(アジア経済研究所参事)
さかい・けいこ 59年生まれ。在イラク日本大使館専門調査員、アジア経済研究所の在カイロ海外調査員などを経て現職。中東のイスラム世界に詳しい。近著に『イラク戦争と占領』
……イラク開戦から1年。フセイン独裁政権は倒れましたが、世界はどう変わりましたか。
酒井 復興が進まず、イラクに混乱状態が生まれてしまった。反米テロ勢力がイラクに引き寄せられている。テロに対する戦いだつたはずが、逆にテロを拡散させ、世界は戦争前より厄介な状況になつた。
寺島 9・11同時多発テロは、米国だけでなく世界にも衝撃を与えた。アフガニスタン攻撃までは米国への同情と理解が世界の空気にあったが、イラク戦争後、同情は嫌悪に変わった。
戦争の大義がコロコロ変わった。最初はテロとの戦いがキーワードだったが、9・11とイラクとの関連は結局、検証されなかった。次なる大義の大量破壊兵器による脅威も、開戦を正当化する口実に過ぎないと分かってしまった。イラクの民主化という大義も、秩序の液状化、テロの拡散、憎悪の連鎖を引き起こしただけだった。
川勝 イラク戦争は米国と英国、スペインが主導し、国連安保理の攻撃容認決議を待たずに始めた戦争だ。いま米国の権威は失墜、英国はブレア政権が支持基盤を失い、スペインは総選挙で現政権が失脚した。仕掛けた3国とも弱体化した。武力行使は外国の内政問題を解決する手段にならないことがはっきりしたのが、1年の教訓だ。
……米国と欧州の対立が深刻になりました。
寺島 冷戦後、欧州は自立に向けて進み始めた。例えばドイツは93年、米軍基地を巡る地位協定を改定するなど、対米関係について議論を積み上げた。一方で、単に米国を排除するのではなく、必要があれば連携するなど、現実的な話もしてきた。一見対立しているようでいて、むしろ正常な関係に移りつつある。冷戦後の日本が「日米防衛ガイドライン見直し」(97年)を通じ、米国の世界戦略の一翼を担う環境を整備するだけだったのとは対照的だ。
酒井 イラク戦争もその後の復興も、米国主導でやったら混乱するのは明白だった。仏独は失敗する米国の片棒を担ぐつもりはない、英国は米国の歯止めになる、と考えた。しかし、仏独は米国を止められず、英国も役割を分担できなかった。対立というより、米国の単独路線が変わっていないというだけだ。
川勝 英国のブレア首相は攻撃直前まで、国連の承認を求め、スペインを巻き込んで欧州、英国、米国が一体となる形を作ろうとした。国内でも米国を支持するため、一歩踏み込んだ形で戦争の口実を作った。これが失敗し、緊密だった米英関係に亀裂が生まれた。今後、英国が米国と欧州の懸け橋になるのは難しいだろう。
一方、欧州の大陸諸国では、米国への尊敬がなくなり、米国の孤立が深まった。NATO(北大西洋条約機構)も形骸化すると思う。
……イラク復興はスムーズに進みますか。
酒井 復興は十分可能なはずだ。石油生産は戦前のレベル近くまで戻っている。なのに、イラク国民の生活水準に反映されていないのは分配システムの問題だろう。経済の停滞が構造化して、失業やインフレが深刻化している。米英暫定占領当局(CPA)とイラク統治評議会による統治は、国民のニーズを反映しているとは言い難く、国民不在の新体制作りがひとり歩きしている。もともと潜在能力がある国なのに、復興が遅れているのは調整力の欠如、システムの不備が原因だ。
ただ、昨年後半から米国に「早く手を引いてしまえ」というムードがあるが、米国が申途半端に事業を投げ出して国連に丸投げしても、復興はうまくいかない。
寺島 復興のモデルとして日本の戦後をあげる声を米国でよく聞く。石油による外貨の獲得で経済が安定し、民主主義も定着するというイメージがあるとすれば楽観的過ぎる。いかなる敗戦国でも、そこに住む人の強い意志がなければ復興はありえないとイラク人がどこで気づくか。主体的な意志と問題意識、ビジョンを持った指導者が混乱の中からどう生まれてくるか、がカギだ。
川勝 イラク民衆の米国への敵対意識は強く、米主導の復興は厳しい。支援がすぐ必要な中で、使える機関は国連以外にないのではないか。イラク人を中心にした復興支援の形を作らないと、内乱に陥ってしまう。
酒井 国内の経済社会運営でイラクは過去、必ずしも外国に依存してきーていない。湾岸戦争後も多くの経済産業施設が破壊されたが、外国企業や国連の支援がない状態で、不十分ながら復興を行った経験がある。イラク人に任せた方がよい分野まで、米軍や米企業が「支援」の名のもとにイラク人の自助努力を排除している。外国の援助が必要な分野と、イラク人の自発性に任せるべき分野とを、きちんと把握する必要がある。
寺島実郎氏(日本総合研究所理事長)
てらしま・じつろう 47年生まれ。三井物産ワシントン事務所長などを経て現職。三井物産戦略研究所長も兼ねる。日米など国際関係に詳しい。著書に『国歌の論理と企業の論理』など。
……いち早く米国を支持した日本の選択は、どうだったでしょうか。
寺島 イラク戦争で日本国民が陥った思考回路を一言でいうと「仕方がないではないか」症候群だ。米国は強引かもしれないけど、北朝鮮問題があるから支持するのも仕方がない。日本を守っているのは国連ではなく、日米同盟だという考えだ。多額の資金援助をしたのに評価されなかった湾岸戦争のトラウマも大きい。一刻も早く明確な形で、国際社会に貢献をしなくてはならないという思い込みが生まれた。
紛争を武力で解決しないことを名誉だと思ってきた戦後の日本で「力」への誘惑が頭をもたげている。米国を支持するしかないという固定観念を捨て、ほかの柔らかい選択肢を考えるのか、「仕方がない」と現実に合わせるのか。日本は重大な局面にあると思う。
川勝 開戦に至るまで日本は何をしたか。要人を近隣のアラブ諸国に派遣するぐらいで、手をこまぬいて、成り行きを見守っていた。平和とは和を作るということだ。国際的に注目されるほどの紛争解決への努力をした形跡はない。
酒井 米国の行動を支持するにしても、目的を国民に示した英国と異なり、日本は「ついて行かざるを得ない」だけで、理由を明確に国民に説明しなかった。米国支持で戦後統治を少しでもましにしようという考えがあったわけでもない。
……日本の対応はマイナスが目立つと。
寺島 この国にとって国際社会における名誉ある地位とは何なのか。政府は人道復興支援のために自衛隊を派遣したという。しかし、ジュネーブ条約上の軍隊として自衛隊がイラクにいるのは明らかだ。
日本には別の選択肢があったはずだ。テロ戦のような新しい形の戦争に対応するため、防衛庁、赤十字、警察機構、消防庁などをまとめ、第三者としてイラクにかかわる別制度はないか。国民が敗戦の後、大切にしてきた平和主義の誇りと名誉を守るため、新しい方法でのぞむ道を、どうして懸命に模索しなかったか。反対か賛成かの議論だけ繰り返す姿勢から、反対の人の意見も吸収できる選択肢を日本人は考えないといけない。
川勝平太氏(国際日本文化研究センター教授)
かわかつ・へいた 48ねんん生まれ。早大教授などを経て現職。専門は比較経済史。著書『富国有徳論』が縁で故小渕首相のブレーンに。日本の国家像について提唱している。
川勝 91年のペルシャ湾への掃海艇派遣以降、自衛隊はカンボジア、東ティモールでの平和維持活動(PKO)参加など、海外派遣の実績を重ね、国民の理解を得てきた。警察的な業務や災害救助に携わる活動ができる組織は、自衛隊をおいてほかにない。
残念ながらイラクでの自衛隊は占領軍の一部になってしまった。派遣に確固たる将来構想もない。自衛隊のこれまでの実績、努力を思うと気の毒でならない。
寺島 今回の派遣は、日本が国際社会で責任ある分担を求めて慎重に進めてきた国連の枠内でのPKO活動の範囲を、一気に飛び越えた。他国の軍隊を後方支援するために軍事力を海外で展開できる前例を作った。この先、国連から国際紛争への自衛隊派遣を要請された時に、日本は憲法を盾に断れなくなってしまった。そうなったからには、特措法をつないで対応する従来のやり方はやめた方がいい。国際紛争への日本の関与の仕方について、いろんな形の選択肢を柔らかい頭で再検討すべきだ。
……いったん派遣した自衛隊を撤退させるのは難しくないですか。
酒井 主権移譲が実現すれば、CPA中心の占領体制は変わる。新しいイラクの体制に日本としてどうかかわるか検討する過程で、自衛隊の派遣を見直す機会があるのではないか。本当にイラク国民の期待に沿うのは自衛隊の派遣なのか、それとも別の方法なのか、新政権と協議し、総合的に判断する必要がある。そうしたなかで自衛隊が撤退することは可能だ。
川勝 憲法で自衛隊は武力は使わないことになっている。実質的に紛争地域であるイラクで万が一、自衛隊が戦闘行為に及ぶことがあった場合は、即座に撤退すべきだ。
……イラクで日本はどう振る舞えばよいのでしょうか。
寺島 イラク人による、自立したイラクの構築を、どれだけ望んでいるかをアピールすることが大切だ。この1年、「力の論理」では間題が解決しないことを思い知った。国際協調の大切さを認識し、アジアの人たちにも、日本の対応には一定の筋道がついていると感じさせるような着地をしなければまずい。
川勝 国際紛争を武力で解決しないという憲法9条の精神は、不戦条約や国連憲章と響きあう普遍性をもつ。憲法が施行されたとき、日本は国際紛争を処理する国力を備えていなかつた。その後、経済力、文化力をつけ、アジアの西端を視野ぬに入れるところまできた。憲法の理念を、世界に対し具体的な形にするざ必要がある。ただ、そのための政治力は乏しい。イラク復興を含む中東問題の根つこにパレスチナ紛争があることは、ゆめゆめ忘れてはならない。
酒井 平和憲法を掲げ、復興を成し遂げた日本の経験を教えてほしいと、アジアや中東は考えている。イスラエルとの関係などから米国と正常な関係を築けない中東の国々にとって、軍事力による覇権拡大を志向しない日本への期待は強い。そこをしっかり自覚して対応することが、日本が中東で生きていく近道だ。