昨今のUSA問題をどのように考えたらいいのか、おそらく、その問題の大きさと複雑さに頭をかかえることでしょう。朝日新聞は、この問題を最近の若手研究者を寄稿者として起用し、ひとつの学際的な論評シリーズを企画しています。ちょっと、興味があったので、参考までに、しげさんのサイトに掲載することにしました。
 記事をOCRでテキストに落し、HTMLファイルに成形してあります。著者紹介の意味で、顔写真も成形して借用しました。なお、文中【清水ノート】に、サイト検索で参照できる、適当な情報などを加えてあります。
 まずは、ごゆるりとお読みください。


朝日新聞2003.8.13.〜21.文化欄、シリーズ《ナショナリズムを問い直す》

関 廣野@民族と民主主義…曖昧な日本人の認識(2003.8.13.)
宮崎哲弥A戦争と「善き生」…安易な国家依存に抵抗(2003.8.14.)
寺島実郎Bアメリカと深層心理…「成功体験」が歪みに(2003.8.15.)
宮台真司C亜細亜主義の可能性…国家を操縦する導きの糸(2003.8.19.)
中西 寛D愛国心と自由…「対立」の構図を超えて(2003.8.20.)
青木 保E文化の「政治化」…「混成化」の中の共感と協調を(2003.8.21.)
 

【序言】

 ナショナリズムをめぐる議論が盛んだ。だが、いささか定型化の兆しもあるように見える。議論の焦点を新たな視角から間い、ナショナリズム論の輪郭を描き直したい。2週にわたり、識者が寄稿する。

@ 民族と民主主義…曖昧な日本人の認識

関 廣野(せきひろの、評論家・教育論)
44年生れ。早稲田大卒。通信社記者を経て現職。著書に『民族とは何か』(講談社、現代新書)、『みんなのための教育改革』(太郎次郎社)、訳書に『奴隷の国家』(太田出版)など。

 近代国家は民族国家(国民国家)として規定され、それによって過去の王国や帝国とは区別される。しかし国家を規定するこの「民族」 (ネイション)なるものについての日本人の認識は曖昧(あいまい)な混乱したものと言うしかない。その証拠に、多くの人が相変わらず民族を生物学的な人種や血縁地縁でつながった種族(エスニシティ)と混同している。これは無理もないことかもしれない。日本人は形の上では国民ではあるが、歴史的に見れば民族として自らを形成した国民とは言い難いのである。

●急進的・包括的な観念

 民族国家は、身分制や位階制のアンチテーゼである。これは、近代ヨーロッパで自由で平等な個人という原理が身分制秩序を打破した結果として生まれた国家の形態である。だから民族の観念は、近代政治における最も論争的で爆発的な理念である平等の理念にしっかり結びついている。
 それにしても、身分制秩序を打破する際になぜ人民ではなく民族の観念に訴える必要があったのだろうか。その答えは、民族の観念の包括性にある。伝統的な意味では人民とは権力エリートや富裕層に対置される特権なき多数者のことであり、多数とはいえ社会の一部を指す言葉にすぎない。ところが民族の観念は、為政者もひっくるめてある政治社会に属するすべての人間が同一の権利と義務のきずなによって互いに結ばれていることを表している。このきずなゆえに民族の成員は一人残らず平等である。極端な例だが、フランス革命においてルイ16世が民族に対する裏切りで告発され国王ではなく一市民ルイとして処刑されたのも、この平等の一例と言えよう。
 こうして見ると、人民より民族の方が政治的に急進的な観念なのである。民族の観念なしには身分制の清算はありえなかったろう。そして近代の民主主義は、この民族の観念から派生してきた。だからナショナリズムの功罪は民主主義の功罪と別のものではなく、そのかぎりでそれは人間の尊厳や公共心の表れに高まりもすれば愚民政治やデマゴギーに堕しもする。しかも自由で平等な個人という原理は、民族の成員という視角からすれば、干からびた抽象ではない。民族は「言語・歴史・文化を共有する集団」として定義される。この定義は、民族文化の独自性にうぬぼれることとは何の関係もない。
 身分制秩序は聖職者の宗教的権威や王侯貴族の暴力に支えられた問答無用の秩序であり、そこでは政治とは特権を行使することだった。しかし民族国家においては権利と義務は万人に共通なものになり、人々はどのように権利を行使し義務を果たしているのかをめぐり互いに問い問われる存在になる。その結果政治は弁論と討論を中心とするコミュニケーション活動に変わる。民族が言語・歴史・文化によって定義されるのは、それがコミュニケーションとしての政治の条件をなしているからにほかならない。そしてこの事実ゆえに、民族は政治家以上に作家、知識人、言論人によって代表されることになる。
 そして民族に上下はないから、すべての民族国家は主権において平筆である。だから国連総会では超大国アメリカも人口27万のアイスランドも共に1票しか持たない。そして民族という原理が国連の創設を可能にしたと言っていい。ナショナリズムは紛争や戦争の原因として絶えず非難されるのだが、実際には戦争をひき起こすのは諸民族の平等の原則を認めない国である。かつて日本帝国は中国人には自治の能力がないとかアジアを解放するといった口実で戦争を始めたが、今はアメリカがイラクで似たようなことをやっている。
 では日本においては、平等の理念に鼓舞された「民族」は存在したであろうか。民族であることは、諸民族の世界を構成する一員であることを意味する。従って、日本が幕末に開国し世界各国に独立国として主権を承認された時に初めて、日本人が民族になる可能性が開けたと言える。それまでは今日日本人と称されているエスニック集団が日本列島に住んでいただけである。しかしながら日本人は潜在的に民族になったにすぎなかった。というのも開国に続いた明治維新が、日本人が民族になる可能性を封じてしまったからである。

●維新が可能性閉ざす

 維新は日本を取り巻く国際情勢の激変を西国の下級武士が政争の具に使ったクーデターだった。討幕派には開国の歴史的意義をめぐる認識など何もなく、他方で当時の日本の代表的な開国の思想家福沢諭吉と中江兆民は維新騒動には目もくれなかった。だが無思想な討幕派は策士としては有能だった。彼らは天皇の建前上の権威を利用してよろめく幕府を揺さぶった。そして将軍の大政奉還の後で強行されたクーデターの非正統性は明白だったので、それを事後に正当化する目的で既に命脈の尽きていた水戸派国学の国体論を再利用した。彼らは平等の理念を奉ずる民族の代表者ではなく征服者であり、京都文化の象徴だった天皇を神格化することで身分の掟を天皇を頂点とする国家エリートの職階の序列に置きかえた。こうして明治国家により国家主義と出世主義が国民の規範とされ日本人は民族ではなく帝国の臣民になってしまった。
 だがそれで話は終わりではない。幕末に各地で広まった民衆宗教の平等主義的傾向は民族意識の誕生を予感させるものだったし、挫折に終わった未熟な運動とはいえ自由民権運動は民族形成の第一歩ではあった。にもかかわらず明治以来、 「日本はなぜ開国したのか」という問いに対する答えが空白のままであることが、日本における民主主義の足取りを今日なおおぼつかないものにしているのである。


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A 戦争と「善き生」…安易な国家依存に抵抗

宮崎哲弥(みやざきてつや、評論家)
62年生れ。慶応大卒。著書に『憂国の方程式』(PHP研究所)、『新世紀の美徳』(朝日新聞社)、『身捨つるほどの祖国ありや』(文芸春秋)、共著に『ニッポン問題。』(インフォバーン)など。

 思うところあって、小林よしのりの『新ゴーマニズム宣言SPECIAL戦争論3』(幻冬舎)を読んだ。
 「破壊された公」と題された第12章で頁(ぺージ)を繰る手が止まった。この章で小林は、私がかつて突き付けた「あらゆる死は無価値であり、例外なく『犬死に』と考えるべきではないか」という問いに誠実に応答している。
 小林は、すべての死が無意味だとすれば、生のみにしか価値が認められないことになる、その価値観は安楽を貪(むさぼ)り、ひたすら生を永らえることを願うニヒリズムに帰してしまう、という。

●「犬死に」だからこそ

 私の大本の問いの眼目は小林の理解したところとかなりずれていた。私は、死の無意味さを直視してはじめて、何の利害得失にも拘(かかわ)らない真の「善き生」を生き得るのではないかと問うたのだ。それこそが、深化しつつあるニヒリズムを超克する唯一の方途ではないかと。
 もし特攻隊員が死後の顕彰を期していたとすれば、彼らはなお現世的価値(利害得失)を基準にしていたことになる。仮に期したことが、将来の国の繁栄であったとしても現世的価値、すなわち生者の価値を目的としていたことに変わりない。
 けれど、特攻隊員は死が取り返しのつかないものだと知り、その無意味さを知り尽くしていたのではあるまいか。彼らの死が…あらゆる死と同様に…世俗的な意味や価値に還元できない「犬死に」だからこそ、あえてその道を選んだ姿が私達(たち)の心魂を打つのではないか。
 例えば、大貫恵美子『ねじ曲げられた桜』 (岩波書店)に引かれている特攻隊員の遺稿に、死の虚無に臨む彼らの心理の軌跡を読み取ることができる。
 それにも況(ま)して驚かされるのは、巻末に掲げられた特攻隊員たちの厖大(ぼうだい)な読書リストだ。特攻隊員が、軍国主義に洗脳され、熱に浮かされたように易く命を投げ出したといった戦後的な見方がまったくの誤りであることは、この目録を一瞥(いちべつ)すれば明らかだ。
 政治的には小林と正反対の立場にあるはずの大貫だが、特攻隊員の真情溢(あふ)るる手記を分析する文面、行間に、彼らへの一方ならぬ共感が滲(にじ)み出ている。
 日本の戦前、戦中に、そして戦後に注がれるこうした微妙な視線の変化は、古いナショナリズムヘの再帰を促し、もしくは新しいナショナリズムの潮流に棹(さお)さしているのだろうか。
 私はそうは思わない。 「世界価値観調査」という国際的な価値意識に関するリサーチがある。電通総研が5年に一度、各国の研究機関と共同で実施しているものだ。その2000年の調査結果によれば「自分の国に誇りを感じるか」という問いに対し肯定的に回答した日本人の割合は全体の54.2%であった。74カ国中71位の低率だ。また「戦争が起きたら進んで国のために戦うか」という設問に対しては「戦う」と答えたのはわずか15.6%。順位は59カ国中最下位の59位だった。
 ところが「国民皆が安心して暮らせるよう国はもっと責任を持つべきだ」という考えを肯定する日本人の割合は実に65.7%にも上っている。
 「国が諸君に何ができるかを問うな。諸君が国に何ができるかを問え」という近代ナショナリズムの高邁(こうまい)な理想など薬にしたくてもない態度が窺(うかが)える。かかる風潮を新手のナショナリズムと捉(とら)えるとすれば、過度の国家依存に傾(かし)いだパラサイト・ナショナリズムと呼ぶべきだろう。
 従来の通説におけるナショナリズムの規格からは外れるが、いま日本で主流を占めつつある国への無責任と依存の性向こそが現代におけるナショナリズムの典型といえるのではないか。

●偶然の不幸を見据えて

 小林よしのりも大貫恵美子も、そういう意味では、古いナショナリズムをあえて参看し、いま全体を覆う新しいナショナリズムに対置してみせることで、抵抗の軸を打ち建てようとしているかにみえる。
 パラサイト・ナショナリズムの到来を「『安楽』への全体主義」として1980年代の半ばに見通していた政治学者がいた。先頃物故した藤田省三だ。藤田はある対談(「マルクス主義のバランスシート」、『全体主義の時代経験』所収みすず書房)で、森鴎外がバーナード・ショーの『悪魔の弟子』を高く評価していたことに論及している。『悪魔の弟子』では、ある男が別の反逆者に間違われるのだが、一言の抗弁もせずに捕まる。処刑される運命と知りながら従容と連行されるのだ。藤田は、男が身代わりになったのは「仁とか義とか、そういうものとは違う別の或(あ)るものなのだ」という鴎外の評釈を紹介し、いま失われている感覚は「これだな!」と思ったという。
 最近、この「或(あ)るもの」の存在を鮮烈に実感させる事実を知った。フツ族とツチ族の部族対立が最悪のジェノサイドに発展したルワンダで起きたことだ。
 事態がようやく収拾に向かいはじめた97年、ジェノサイド実行者の残党が寄宿学校を襲い、十代の女子学生17人を捕らえた。襲撃犯が少女たちにフツ族とツチ族に分かれるよう命じたところ、彼女らは「自分たちはただルワンダ人である」とこれを拒んだ。そして無差別に射殺されたのである(フイリップ・ゴーレイヴイツチ『ジェノサイドの丘』WAVE出版)。
 この話も一見、単なるナショナリズムの発露のようにみえる。無論、そうした側面もあったに違いない。だが、その裏で「偶然にくる或る不幸」 (藤田)を事もなげに引き受けてしまえる意思が働いている。安逸に流されず、偶然の不幸、死の虚無を見据えながらも、なお善く生きることを求め続ける意思。これこそがナショナリズムに内在しつつ、ナショナリズムを超える自由の可能性ではあるまいか。

【清水ノート】大貫恵美子『ねじ曲げられた桜』 ⇒ 紀伊国屋サイト


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B アメリカと深層心理…「成功体験」が歪みに

寺島実郎(てらしま・じつろう、日本総合研究所理事長)
47年生れ。早稲田大大学院修士課程修了。三井物産戦略研究所所長。早大大学院アジア太平洋研究所教授。著書に『国家の論理と企業の論理』(中公新書)、『歴史を深く吸い込み、未来を想う』(新潮社)など。

 小泉政権がスタートし、首相が「8月15日に靖国神社に参拝する」と語った時、米国の対日政策関係者に緊張が走ったという。 「A級戦犯が合杷されていようが、首相として靖国を公式参拝する」ということは、論理的帰結としてサンフランシスコ講和条約で確認したはずの東京裁判を否定する可能性を暗示するわけで、米国としては「本格的ナショナリズムに回帰した政権の登場か」との疑念が生じたのである。
 ところが、米国のイラク攻撃支持に至るその後の経緯が示すものは、ブッシュ政権も戸惑うばかりの親米路線への傾斜である。 「国難に殉じた英霊」に涙する心性が、決してアメリカと一線を画す方向に向かわず、日本の動きに懸念を表明する近隣諸国への敵悔心に変質するという状況は、日本のナショナリズムの深層心理を象徴するものである。

●「脱亜入欧」の20世紀

 本来、ナショナリズムとは自らの民族の自尊自律を求めた能動的意思であるはずだが、幕末維新の「開国」以来、日本のナショナリズムは結節点を求めて常に「欧米」と「アジア」の間で揺れ動いてきた。福沢諭吉の「脱亜論」樽井藤吉の「大東合邦論」という日本のあるべき国際関係を論ずる対照的な論文が、奇しくも同じ1885(明治18)年に発表され、今日に至る宿命のテーマとなり続けている。
 アジアの諸民族が結束して、白人帝国主義のアジア支配を打破することを論ずる樽井の「アジア主義」の系譜を深層に埋め込みながら、20世紀の日本は、福沢の「わが国は隣国の開明を待って共にアジアを興すの猶予あるべからず、むしろその伍を脱して西洋の文明国と進退を共にし…」という「脱亜入欧」型の路線を歩んできた。つまり、20世紀初頭からの20年におよぶ「日英同盟」と1945年の敗戦からの「日米同盟」という二つのアングロサクソンの国との同盟関係で、20世紀の4分の3を過ごしてきた。しかも、間に挟まった25年が戦争を挟んだ苦渋の時代だっただけに、日本人の心に「アングロサクソン同盟は成功体験」という認識が固定化してきた。
 確かに、日英同盟に支えられて日露戦争から第1次世界大戦まで「勝ち組」として台頭した歴史、さらには日米同盟に支えられて復興・成長と歩んできた戦後史を思えば、 「アングロサクソンとの同盟は成功体験」という認識が生まれるのも当然かもしれない。しかし、それによって真のナショナリズムが封印され、名誉白人的位置付けへの屈折した自己満足が醸成されたことも否定できない。 「アジアで最初の近代化に成功した国」 「アジアで唯一の先進国サミットのメンバー」といつた優越感が歪んだナショナリズムとなってアジアに向かう傾向をもたらしたのである。
 「ぷちナショナリズム症候群」といわれ、昨年のサッカー・ワールドカップあたりから「ニッポン大好き」という若者の屈託のない自国愛の傾向が顕著になった。国際社会との関わりの中で仕事をしてきた私自身が確認してきたことは、自らの民族と帰属する国家への共感無きコスモポリタンは、決して信頼も尊敬もされないということであり、自らのアイデンテイテイー(帰属意識)を求める傾向は、空疎な国際化志向より評価できる。ただし、自らの民族・国を愛す気持ちは、国際社会を構成する様々な民族・国の存在への敬意へと広がりを見せなければならない。 「開かれたナショナリズム」でなければならないのである。とりわけ、近隣諸国の理解を得られなければ、視野狭窄の自己主張に終わる。
 これからの日本のナショナリズムが直面する課題を凝縮すれば「対米関係の再設計」といえる。9・11の衝撃を受けたブッシュ政権は、突出した軍事力をテコに極端な「力の論理」に傾斜しており、経常収支と財政の「双子の赤字」が年間1兆jにも達するという経済基盤の虚弱性もあって、自らの世界戦略を支える「保安官の助手」としての日本の役割に期待を高めている。一方、日本は「北朝鮮問題がある限り米国について行くしかない」という心理に陥り、日本を取り巻く周辺環境を外交力で安全なものにしていく努力を軽視して、「日本を守ってくれるのは米国だけだ」という冷戦期の幻想から抜け出せないでいる。米国の「力の論理」を無批判に許容し、「非核平和」と「専守防衛」の基軸を踏み外すならば、米国が作り出す「有事」に際限無く巻き込まれていくことにやがて気付く。

●過剰依存からの脱却を

 「日本という国は危ないね」。ある欧州の外交官がつぶやいた。憲法という法治国家の根幹の規律を変える手続きも経ず、平然と「解釈改憲」で、自衛隊を米国支援で海外に派遣する決定をする日本を議論した上での一言だった。時代の空気で瞬時に変容する経綸の欠如。確かに「非核平和主義」が、力の論理に傾斜し始めるや、瞬く間に「日本も核武装を」に変節しかねない危うさを内包している。「米軍が駐在して日本の危険を封じ込めてくれるほうがまし」という本音を諸外国が抱いていることを重く受け止めたい。
 同じく敗戦国のドイツと異なり日本には、ドイツとフランスの関係のごとく近隣に協調と信頼の枠組みが無い。 「軍事ナショナリズム」か「米国への依存深化」か、という不健全な選択に追い込まれぬためにも、アジアの周辺環境を相互敬愛へと変える主体性が求められる。米国への過剰期待と過剰依存から脱却し、自らの運命を自らが決める方向へと歩み出すこと、それこそが21世紀が求める「開かれたナショナリズム」への一歩である。

【清水ノート】脱亜論(全文) ⇒ 『時事新報』1885(明治18)年3月16日)
大東合邦論(全文) ⇒ 「萬晩報」サイト


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C 亜細亜主義の可能性…国家を操縦する導きの糸

宮台真司(みやだい・しんじ、都立大助教授・社会学)
59年生れ。東京大大学院博士課程修了。著書に『絶望から出発しよう』(ウェィツ)、『授交から天皇へ』(朝日文庫)、共著に『憲法対論』(平凡社新書)など。

 世の中にはベネディクト・アンダーソンを誤読して「国民化の歴史を振り返り、国民幻想を相対化せよ」などと語る輩がいる。「ボーダーレスな時代だから国民国家にこだわっていては駄目だ」などと言う。時代錯誤も甚だしい。
 私たちは領域的にも力の大きさ的にも国民国家=ネーションステイトを超える主体を持たない。私たちが世界を変えようと思ったら、ネーションステイトをハンドリング(操縦)するしかないのだ。
 私はかねて「自立した国民として思考停止に陥らず、ステイト(機構としての国家)をハンドリングせよ」と呼びかけ、政治家や役人にロビイングしてきた。私はネーション幻想(幻想共同体としての国家)に身を委ねているか。ありえない話だ。
 愛国心とは何か。国という言葉が誤解の元である。日本人はすぐステイトを愛することだと思い込む。ここでの国はパトリの訳で、ステイトが守るべきナショナルヘリテイジ(国民財産)の意味。国家が守るべき社会のことである。
 ゆえに愛国者は、国家が社会を、ステイトがネーションを守らないなら、国家=ステイトに文句を言い、革命せねばならない。現に国家への命令である近代憲法は、国民とナショナルヘリティジを守るよう厳命している。
 国家が守るべき社会とは何か。「幻想共同体としての国家」が確固として信じられる国民国家の黎明期と違い、今日のそれは一定の地理的領域内の「生活の事実性」に拡張されなければならない。
 社会がボーダーレス化したならボーダーレス化した社会における「生活の事実性」から国民が得る利益を守るべく、国家は機能しなければならないということだ。国家がそうした責務を果たすように国民が監視し、操縦する必要があるのである。

●国粋思想とは本来無縁

 さてフランス第三共和制から帝国主義の時代にかけ、国家はそうした責務を果たすには脆弱すぎたり凶暴すぎたりするとの意識が高まる。そこで一方で、凶暴すぎる国家を否定し、中間集団ネットワークに責務を託する「無政府主義」が生じた。
 他方で、脆弱すぎる国家同士を、文化的類似性をベースにしながら経済的・軍事的に連携させようとの動きが・欧州列強に摩屠られる可能性に脅える日本に生じた。 「亜細亜主義」である。
 ところが亜細亜主義は、戦後日本とアジアでタブー視された。本来は国粋思想とは無縁だった亜細亜主義が、帝国主義的大陸進出の正当化に用いられ、揚げ句は大東亜戦争のご都合主義的な正当化ツールに堕したからである。
 私は亜細亜主義が見直されるべきだと四年前から主張している。契機はシアトルのWTO(世界貿易機関)総会。あらゆる領域で急進するアメリカ製グローバル化に対し、世界中の人々が異議を申し立てた。スローライフ運動が広がって、EU(欧州連合)統合にも弾みがついた。
 日本国民だけがこの一件の意義をちゃんと理解しなかった。他方一九九〇年代に日本の経済力は凋落、韓国・台湾・中国などが急成長した。アメリカ一人勝ちのグローバル化に抗すべく、弱者連合の思想である亜細亜主義の本義が活かされる時が来たと私は感じた。
 亜細亜主義には思想的な積極性がある。「脱亜論」の福沢諭吉は朝鮮維新政変たる甲申政変が失敗するまで亜細亜主義者だった。政変失敗でアジア諸国が足手纏いになると感じ、一国近代化論に転じた。亜細亜主義者とは情勢判断で分岐しただけだ。
 明治十年ごろまで藩閥政治が続いた。 「日本」という虚構を多くは信じていなかった。にもかかわらず、虚構への貢献を通じて自ら(の藩)を立てんとする志士がいた。そんな時代、岡倉天心が、同じ虚構なら「日本」よりも「亜細亜」だと言った。
 ことほどさように亜細亜主義には、ナショナルなもの(幻想共同体としての国家)を相対化してもなお残る「国民国家をいかに操縦するか」という課題に向き合おうとの意趣がある。私たちが学ぶに足る視点がある、と考えるゆえんだ。

●盟主のいない弱者連合

 「文化を下敷きにした軍事経済ブロック」と言えば、皮肉にもアジアならぬ欧州がEEC(欧州経済共同体)、EC(欧州共同体)、EUへと進化させた。そこには軍事的安全保障のみならず、食糧安全保障、エネルギー安全保障、IT安全保障、文化的安全保障の視点が内在する。
 アジアはそうした繋がりをまだ持たない。ポイントは欧州が突出した盟主を作らないよう努力した所。大東亜共栄圏は、列強搾取から東亜を守るとの大義にかかわらず、飽くまで日本が盟主。域内の、強者/弱者、搾取/被搾取の関係は自明だった。
 私の教え子であるアジアの留学生らは亜細亜主義というと、当初は激烈な反発を示す。だが日本が盟主でない、盟主のいない弱者連合ならどうだと問いかけると、強い興味を示すようになる。韓国の留学生らは、ならば韓国の政治の流れは亜細亜主義の方向だとまで言う。
 問題は、天心の言う「亜細亜は一つ」の「一つさ」をどう構想するかだ。天心の「一つさ」は、欧米列強という脅威を前提にした、あえてする幻想に過ぎない。幸い今のアジアの若者らには、漫画・アニメ・音楽等のサプカルチャー・ネットワークが存在する。つまり現実的基盤がある。
 欧州映画はアジア映画に座を譲った。単なるノスタルジーでなく、人と人、人と場所との必然的な結びつきを求める気持ちが … 三島由紀夫ではないが入れ替え可能な偶発的存在に堕するのを回避しようという心情が … 動きに拍車をかけている。
 弱者が弱者を嫌悪し、暴力や戦争に憧れる「ぷちナショナリズム」も散見する。フロイト的に言えば全能感の断念に失敗した虚勢不全がもたらす小児病。繰り返す。私たちが自立した国民として思考停止を排し、国家を操縦するべき時が来た。亜細亜主義が導きの糸となろう。

【清水ノート】ベネディクト・アンダーソンについて
 ⇒ 作間逸雄ゼミナール公開ゼミ資料(1999.10.16)
 ⇒ 『想像の共同体』内容メモ
 ⇒ (『想像の共同体』…著者と所説の解説)
 ⇒ 書評(松岡正剛サイト)
関連著書:ホブズボーム『国家とナショナリズム』 ⇒ 書評(「哲学の劇場」サイト)


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D 愛国心と自由…「対立」の構図を超えて

中西 寛(なかにし・ひろし、京都大教授・国際政治学)
62年生れ。京都大大学院修士課程修了。今年3月に刊行された初の著書『国際政治とは何か』(中公新書)で、読売・吉野作造賞を受賞。

 最近、 「愛国心」をめぐって盛んに議論がかわされている。それは日本人にとって国家とは何かという近代以来の問いかけの今日的な表現であろう。しかしこの問いについては西洋近代に由来する国家像と日本の伝統的な秩序観とが複雑に重なり合い、議論を混乱させてきた。それは日本の逃れられない宿命かもしれないが、、少なくともその「議論の本位」 (福沢諭吉)を整理することには意味があるだろう。

●本来は被治者の言葉

 近代国家は西洋が生み出した理念的構築物だが、その性質を考える上では、近代国家の前に古代ローマ帝国から中世キリスト教世界といつた国家を超越する普遍的世界が先行し、その崩壊の結果近代国家が生まれてきたという経緯を認識することが重要である。この前近代的世界の崩壊過程において生み出され、すべての近代的思考の出発点となったのは「自由な個人」という観念であった。個人は本来的に自由であり、社会的慣習や宗教的信念は二次的な存在に過ぎないという理念は、古代ローマや中世キリスト教思想を受け継いだ世界市民主義の近代版であり、現代にも自由主義の理念として引き継がれている思想である。
 理念的には、この自由な個人は共同体から解放され、理性や法的権利に従って社会を営むことが期待された。しかしヨーロッパ社会の現実はこうした期待とはかけ離れたものだった。理性の裏腹には恐怖、熱情、欲望といった様々な情念が渦巻いており、そうした情念が生み出す社会的混乱にあっては自由は絵に描いた餅に過ぎなかったからである。そこで生まれてきたのが近代国家の理念であった。個人は、安全を保障されることと引き換えに特定の政治体に進んで服従し、そこで初めて自由を現実に享受できるとされたのである。この時中核的な役割を果たしたのが「愛国心」や「祖国愛」の観念であった。それは古代ギリシャの都市国家での政治理念としての「共同善」が近代的な個人主義と結びつけられた観念であり、「自由な共和国」への愛を表現する言葉であった。
 従って西洋における愛国心は特に近代初期にあっては、支配者ではなく被治者が善き統治を求めて発する言葉であった。18世紀イギリスの文筆家サミュエル・ジョンソンの「愛国主義(パトリオティズム)は悪漢の避難所」という言葉は有名だが、ジョンソンは愛国主義を否定したのではなく、愛国主義を掲げながら既存の秩序を根底的に批判した急進派を非難したのであり、ジョンソンの意図は愛国主義の擁護にあった。それを否定することは国家の否定にとどまらず、個人の自由も失わせると見なされたのである。
 従って近代西洋的な意味での愛国心はその中核において、共同体の文化や伝統を否定する契機を有している。確かに18世紀後半以降、たとえばルソーやフィヒテといった著述家やアメリカ独立、フランス革命といった事態によって愛国的理念と民族的同一性が結びつけられ、ナショナリズムの理念が普及することになった。しかし自由の実現こそ国家の存在意義であるという愛国主義の理念が完全に失われることはなかった。ナショナリズムも単なる同胞愛にとどまらず、自由の実現という理念によって拘束されることが少なくなかった。今日でも、たとえばイラク戦争をめぐって米欧が対立しながらも、アメリカの愛国主義が自由の世界的拡張という言葉で語られ、それへの反対が主権独立という別の自由の言葉で語られたことに西洋世界で自由のもつ意味が示されている。
 これに対して非西洋世界は過去2世紀の間に西洋から近代的な政治的、社会的枠組みを移入したが、世界市民主義や個人の自由に対する強い執着をもっていない。それに類似した概念を見つけることは可能だが、近代西洋のように自由に絶対的な価値を与えようとはしない。そのため近代国家の移植過程では、エリートが伝統的な文化共同体を基礎にナショナリズムや愛国主義を普及させる「上からの近代化」が一般的であった。別のエリートが西洋的自由の理念を輸入して対抗しても、愛国主義へと転化して自ら統治エリートとなるか、少数の根なし草で終わるかという運命を辿ることが一般的であつた。

●「伝統主義」と同一視

 日本でも明治以来、愛国心や自由をめぐる議論は、統治エリートと反対する対抗エリートの間の非妥協的な論争の形態をとってきた。両者とも愛国心を郷土愛や伝統主義と同一視し、自由と対立するものと見なしてきた。自由と愛国心を結びつけようとした福沢諭吉などの議論はむしろ例外であった。他方で、政治的論争を離れると日本人はおしなべて日本の文化や風土に強い愛着を抱いており、その心性が愛国主義の代替物となって妥協を生み出してきた。統治エリートは西洋中心の世界と交流し、また国内の安定を図るために対抗エリートに一定の譲歩を行い、対抗エリートもナショナリズムや愛国心を批判しながらも日本を捨てようとはしてこなかった。今回の愛国心論議もこの伝統的なパターンを踏襲するだけに終わる可能性はある。
 しかし逆に愛国心や国家の問題を深くつきつめ、その奥底にある近代的自由と非西洋的文化の関係にまで及ぶ思索を日本人が生み出せれば、そこに西洋的な世界市民主義とは異なる普遍性が開けてくるのではないだろうか。何といっても自由の理念は近代西洋が人類にもたらした福音であると同時に重荷であり、今日のグローバリゼーションも究極的には自由の正負両面を反映している。そしていささか大げさにいえば、この自由の理念が非西洋世界の様々な文化的規範、価値観と共存する可能性を見いだせるか否かに人類の将来がかかっているといっても過言ではないのである。


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E 文化の「政治化」…「混成化」の中の共感と協調を

青木保(あおき・たもつ、政策研究大学院大教授)

 今日、ナショナリズムを主張する声は、世界に満ち溢れているように見える。情報化とグローバル化の波に乗ってのことには違いないにして、かつてこれほどのナショナリズムの叫びが、世界の隅々から聞こえてきたことはない。もちろん、日本内部でもその声は聞こえる。またその声が多様なこともかつてないことである。それらの声が発せられる背景や状況、発声者の主張や理由もその立場もさまざまである。多義的な意味を含む「ナショナリズム」と一括するのは言葉の上では容易であるが、そこに「普遍性」はない。

●本質的に閉鎖的で排他的

 1980年代後半に「文化とナショナリズム」について論じた時、私は現代に起こっていることは「ナショナリズムの細分化」であると指摘した。55年4月にインドネシアのバンドンで開かれた「バンドン会議」で、スカルノ大統領が誇らかに「人類の歴史」で初めての「有色人種の国際会議」と宣言した。その時の「植民地主義」を脱した「新興国家」の高らかな「国家主義的ナショナリズム」の主張は、アジア経済危機とスハルト失脚後の、「アチェ・ナショナリズム」への対処に手を焼く今のインドネシアには跡形もない。スカルノ的国家主義は、広大な空間に多様に広がる民族と宗教と地域のナショナリズムに「細分化」され、政治的貧困の空疎な象徴のようにさえ見える。
 ナショナリズムの主張は世界に充満すると記したが、多くの場合、一つの国や社会全体が一つの声ですべて満たされることはない。だからといって、どのような形であれナショナリズムを「些末で取り上げるのに値しないもの」と決めつけることは危険である。ナショナリズムは極めて情動的で状況的な性格を持つ。状況次第でどのような旋風を起こすか予断は許さない。「善いナショナリズム」と「悪いナショナリズム」を分ける捉え方もあるが、独立後のインドでネルー首相が言ったといわれる、「ナショナリズムは非常に善いものとは考えない。それがいかに作用するか、どこにあるかによって決まる。過去の植民地支配の記憶の上に築かれているとき、それを認めなければならない」といった意味であるならば、現在でも「認めなければならない」性質のものはあるであろう。
 「抑圧される」状況にある「少数民族・少数者」のナショナリズム、「自民族・自文化」の防衛とそれへの結集の声、いまだ世界のここかしこに挙がる激しい叫びである。しかし、ナショナリズムはどのような性質のものであっても、本質的に閉鎖的な、そして排他的な傾向を示さずにいない。「善いナショナリズム」であるといっても、それが効果的に働く状況が変化した時、「開かれたより広い寛容性を示す方向へ」展開してゆくかどうか、常に疑問である。ナショナリズムのほんの小さな動きであっても、注目してその原因を明らかにする必要がある。強いナショナリズムが生まれる国や社会にはさまざまな不満や憎悪や怨嵯があり、内外の脅威が感じられ、多かれ少なかれ、不幸な状態に置かれているからである。

●冷戦後に現れた「衝突」論

 ナショナリズムをめぐる議論で注目すべき傾向が90年代の「東西冷戦後」に現れた。いわゆる「文化の政治化」であり、「世界の秩序」を「文化の系統」で捉えようとする極めて戦略的な理論である。ハンチントン氏の「文明の衝突論」は結局、湾岸戦争からイラク戦争に至るアメリカ中心の世界戦略のパラダイムとなった面がある。「文明の違い」は乗り越えられないとの主張は、「9・11同時多発テロ事件」をはじめ多発する国際的テロ事件の「宗教的・民族的」背景と相まって、イスラーム対西欧文明(キリスト教)といった安易な「衝突」の図式を導きだす。実際には、イスラームの間でも、キリスト教徒の間でも「衝突」はいくらでも存在するにもかかわらず、こうした図式は政治的な主張に容易に取り入れられる。今回のイラク戦争ほど対立する両国の政治指導者が「神の加護」を口にしたことは現代では他に例をみない。
 他方、一つの国や社会に存在する複数の民族の「文化的アイデンティティー」を尊重し、「多文化」であることを基本に据えようとの「多文化主義」も世界的に大きな動きとなってきている。「異文化共存」は現代社会の重要課題であるが、そこには常に矛盾と葛藤が出てくる。どこにおいても現代の国家と社会の枠の中では、様々な民族と文化が「平等に」存在することはまずないからであり、多数民の文化と少数民の文化といった差異がみられるからである。それが故の「多文化主義」には違いないが、そうした状況にあっては、お互いが自己の「文化的アイデンティティー」を主張しあう「摩擦状態」に陥ることが多い。
 しかし今日、世界のほとんどの地域で「文化」は大きく変容し、「混成化」し、「純粋」な文化などまず存在しない。「混成化」した多様な文化が世界に存在するのである。アジア各地をこの40年近く歩いてきたが、各地の文化の変化は激しく、初めて訪れた頃と比べ、 「文化の壁」は低くなった。文化の違いを超えての共感も協調もできる基盤が育ちつつある。
 ただ、変化したとはいえ、文化の違いはいろいろな形で存在する。特に「価値観」や「観念」の中にそれは存在することが多い。そこに、文化とナショナリズムを結びつける危険が依然としてある。世界は「多文化」という現実と常識を基本に据えた上で、平和と協調を考え、行動する時代が来ている。「文化の政治化」を極力避けることこそ、新世紀の人間の生きる術である。

【清水ノート】サミュエル・ハンチントン著、鈴木主税訳『文明の衝突』集英社、1998年6月、ISBN4-08-773292-4 本体2800円。 Samuel P. Huntington, The Clash of Civilizations and the Remaking of World Order, 1996. 書評:春田晴郎(はるたせいろう、東海大学文学部)サイト [超短評]ハンチントン『文明の衝突』

(おわり)


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