朝日2002.10.19;26;11.02.
「真澄、五つでいいな」今シーズンの開幕前、新しく巨人の監督になった原辰徳(44)が、片手を広げていった。
先発投手として、5回は登板のチャンスを与える。それで結果が出なければ、あきらめてくれという意味だった。
「いえ、三つでいいです」監督の温情に、桑田真澄(34)は答えた。
ねじらない、ためない、うねらない。
これまでの運動選手の常識とは正反対の、そんな体の捌(さば)き方を身につけ、投球術が変わりつつあるという手応えがあったからだ。
そして、12勝6敗、防御率2.22。15年ぶりに最優秀防御率のタイトルを取り、95年にひじを手術して以来、一番納得のいくシーズンを終えた。
復活の陰に、東京都多摩市で武術稽古研究会・松聲館(しょうせいかん)を主宰する甲野善紀(53)がいた。
2人は00年春に出会う。神奈川県内の病院で開かれた講演会に招かれた甲野は、古武術の術理に基づいた体の使い方について話し、いくつかの技を披露した。その相手をしたとき、桑田にひらめきが走った。「これが野球に応用できたらすごい」
野球界には、走り込みや千本ノックが能力を引き出すと信じる「根性野球」か、アメリカ流の「科学的」なトレーニングしかなかった。
甲野の技と説明は、まったく次元が異なっていた。
「例えば、小魚の群れが瞬時に方向を変えるような動き。ためを作らず、ねじらず、同時並行的に体を捌く。そうすれば、イルカやマグロが反転するよりはるかに速いでしょう」
1週間後に入門した。身近に接してみると、その体捌きは驚くべきものだった。175聾、80キロの桑田が、より小柄な甲野に跳ね飛ばされる。体が触れた瞬間に発揮される技の威力は、現代人の常識を越えていた。
とりわけ、野球にはずぶの素人の甲野が「逆手抜飛刀打」(さかてぬきひとううち)と呼ばれる抜刀術の技を応用して牽制球を投げる動作をしたときには驚いた。「プロ野球の、どの投手よりも速かった」
「体をねじり、踏ん張ってパワーをためる」式の運動理論とは正反対の世界があった。選手生命に革命をもたらす可能性が広がっていた。
でも、それを野球に応用することは容易ではなかった。昨年は調子が上がらず、ファームにも落とされた。ひじを手術した投手は再起できないという不安や葛藤もあった。
それがよかった。登板機会がなくなったことで道場に通う回数が増え、師匠と2人、あれこれ工夫することができた。気がつけば身体能力が格段に上がっていた。往復ダッシュは、チームで一番速かった。ノックを受けても、それまでは到底届かなかった球が余裕を持って捕れるようになっていた。なにより、投げた後の疲労感が違った。ひじや肩、腰にも張りが出なかった。
「毎日でも投げられる感じでしたね。体全体を同時並行的に使うことを工夫して、バランスがよくなったからでしょう」
同僚にも秘密にして続けてきた古武術の動きが、身についてきたことが実感できた。
「昨年の8月ごろでした。これでいけると確信を持ちました」
しかし、現実には昨シーズン限りで引退の危機に追い込まれていた。速球に威力がなくなり、もう使えないと、前監督に判断されたからである。
【資料】
こうの・よしのり 49年、東京都生まれ。78年、武術稽古研究会を設立し、松聲館道場を開く。他の流儀や異分野と交流しながら、古武術の術理を研究している。著書に『剣の精神誌』(新曜杜)など。解剖学者、養老孟司さんとの共著に『自分の頭と体で考える』(PHP文庫)などがある。
くわた・ますみ 68年、大阪府八尾市生まれ。PL学園時代、夏の甲子園で2回優勝。85年のドラフト1位で巨人に入団。95年、右ひじを手術した。通算164勝。
桑田の年別成績 | |||||
---|---|---|---|---|---|
年 | 勝-敗 | 防御率 | 94 | 14-11 | 2.52 |
86 | 2-1 | 5.14 | 95 | 3-3 | 2.48 |
87 | 15-6 | 2.1 | 96 | 一軍登板なし | |
88 | 10-11 | 3.40 | 97 | 10-7 | 3.77 |
89 | 17-9 | 2.60 | 98 | 16-5 | 4.08 |
90 | 14-7 | 2.51 | 99 | 8-9 | 4.07 |
91 | 16-8 | 3.16 | 00 | 5-8 | 4.50 |
92 | 10-14 | 4.41 | 01 | 4-5 | 4.83 |
93 | 8-15 | 3.99 | 02 | 12-6 | 2.22 |
「今シーズンほど、打者のバットを折ったことはない」
「打席に入った打者が、だんだん前に出てきて構える。こんなことは初めてです」
「ひじを痛めてからは、中心打者を迎えると怖かったけど、いまは怖くない。逆にどう攻めようかと楽しんでいます」
「以前は球種と上下左右の配球だけを考えていたけど、いまは奥行きもあることが分かってきた。同じフォームから速い球と遅い球を投げ分けるのです。幅が広がりますね」
今年になって球の威力が増し、投球術が変化してきたことを、桑田真澄(34)はこんな言葉で表現する。
すべて、古武術の動きと関係がある。桑田が師事する甲野善紀(53)がいう。
「うねらず、ためを作らず、コンパクトに投げるから、球を手放す瞬間が分かりにくい。それで打者はタイミングをずらされる。打者が前で構えるのも、何とかタイミングをつかみたいと思うからでしょう」
武術でいい攻撃を出せる者は、防御でも対応がまずいということは決してない。野球でいえば、投球の質が変われば守備もうまくなるし、打撃も必ずよくなる。こんな甲野の話を裏付ける場面があった。8月20日の横浜戦。折れたバットの先端が回転しながら、マウンドの桑田めがけて飛んできた。彼はさっと膝の力を抜き、後ろに倒れて避けた。これこそ古武術の動きだった。
今シーズンは、打撃も好調だった。打率2割9分4厘は、規定投球回数を投げた投手でトップ。8年ぶりに本塁打も放ち、代打での安打も記録した。
けれども、シーズン中は、一度も打撃練習をしなかったそうだ。それで、何の不安もなかったという。
「打撃はキャッチボールと同じ。グラブをバットに持ち替えて、バットの芯でボールを捕る、それだけなんです」
体のさばき方の質が変わってきたことを、実感しているからこそいえる言葉だろう。
桑田は以前から、体にいいといわれることを取り入れるのに貧欲だった。
バランスを崩すからと、いまはやめているが、球界で一番早く本格的なウエートトレーニングに取り組んだ。サプリメントを使い始めたのも早かった。水泳は肩を冷やすからダメといわれた常識を破って、練習に取り入れたのも彼だった。
だからこそ、甲野の「古武術からの発想」が新鮮だった。週に一度の道場通い。ふだんの生活では、廊下を曲がるときにも、体をねじってしまっていなかったかと気を配る。遠征先のホテルでは、部屋を和室に変え、いつもバットケースに入れている杖の練習に励む。
二人の関係で忘れてならないのは、甲野に対して桑田が抱く次のような感想であろう。
「僕の野球人生では、一度会っただけなのに面倒をみてやったとか、おれが教えたとかいう人がほとんどだった。けれど、先生は自分はヒントを出しただけ、としかいわない。道場に通っていることも、最初は秘密にしてくれといわれました」
取材の日、甲野は桑田に黒い袴を贈った。なんの包装もされていない武術用である。
「11勝すればプレゼントすると約束していましたから」と、ぶっきらぽうに手渡す甲野。受け取る巨人の工ースは、子どものようにうれしそうだった。
【コメント】
短く相手のわかりやすい言葉で指導する。指導者にとってこれは難しい。ついつい大局から細部まで言いたくなってしまう。しかし指導は、相手に伝わってこそ意味を成す。「うねらず、ためを作らず、コンパクトに投げる」という3点は甲野氏の指導の凝縮。指導される側にとってわかりやすいから、野球だけではなく日常生活での身のこなし方にもつながってゆく。指導者は、人の人生にかかわっているのである。
(キャリア・コンサルタント 本田勝裕)
桑田真澄が追求する、ねじらない、ためない、うねらない動きとは、具体的には、どういうことをいうのか。
この30年、古武術の術理を追求し、合気道から鹿島神流の剣術、抜刀術、根岸流の手裏剣術などを通じて体の捌き方を研究している甲野善紀がいう。
「明治時代の初めまでの日本人の、和服が着崩れない動きであり、体の使い方ですよ」
例えば歩き方。江戸時代の浮世絵などを見ると、入々は例外なく、体をねじっていない。手もほとんど振っていない。
右手が出るときは右足が前、左足が出るときは左手が前になる。農作業でくわを使う時の基本動作である。この歩き方は「ナンバ」と呼ばれ、いまも歌舞伎や能の所作に残っている。
全身をバランスよく使うから、エネルギーの消耗が少ない。特定の部位に負担をかけることもない。
江戸時代、北辰一刀流の千葉周作の門下に600キロを3日で走り抜いた人物がいたそうだが、伝えられる通りなら、この種の体の使い方を研ぎ上げた果てのことだろう。
昔の武芸者の動きもヒントになる。宮本武蔵と同じ時代の剣豪、松林左馬之助は59歳の時、徳川家光の前で、袴のすそが屋根のひさしに触れるほどの跳躍力を披露している。
こうした技や体力は、体の使い方の質の転換、発想を変えないと理解できない。
こんな話に、桑田の目は輝く。なにしろ、自身のホームページに「LIFE IS ART18」と名付けるほど、術にこだわりを持つ男である。彼はそこで、「フェルマーの最終定理」を解いたイギリスの数学者を題材に、次のようなことを書いている。
・・・問題解決の突破口は、一瞬に見つかることもあれば、何カ月もついやすこともある。その繰り返し。気の遠くなるような作業をひとつひとつ積み重ね、証明不可能といわれた定理を解いた彼に勇気をもらい、目標に向かっている ・・・。
彼の目標とは、どれだけ体が捌けるか、どのようにして体を捌くか、である。
努力の片鱗が、テレビに映し出されたことがある。7月16日の横浜戦。3塁線上に転がったボテボテの打球を、ダッシュして処理してアウトにした。その身のこなしが、ただごとではなかつた。
ふつうは、かがんでボールを捕る、姿勢を立て直す、足を踏ん張り、体をうねらせて投げる、という一連の動作をする。ドミノ倒しのように、時系列的にエネルギーを伝えるのだ。
ところが、桑田はその一連の動作を同時並行的にこなし、ボールを捕った瞬間に1塁に送球して刺した。
そのときは、特別には意識しなかったが、後でビデオで見て「ああ、あんな動きをしていたのか」と驚いたそうだ。
甲野は「剣の前後切りの動きです。普段から稽古していたとはいえ、とつさにその応用ができるところが、彼の天才の証しでしょう」という。
桑田はいま34歳。53歳の師匠は「技を追求していけば、私の年になっても投げられますよ」と、期待を込めて激励する。
「1年、1年が勝負」という弟子は「でも、まだ自分の考えていることの半分も体が使えていない。それができたら、勝ち星や防御率以上にうれしいでしょうね」というのだった。
=文中敬称略(おわり)
(編集委員・石井晃)
キャリアプロのひとこと 歴史から学びたい
歴史は書物だけで学ぶのではない。体からも学べる。桑田選手は明治初期までの身のこなしを甲野氏から学び、試合で実践している。その瞬間に伝統は伝承に変化し、生かされる。そのことを桑田氏はホームページで「シンプルでエレガントで体に負担の少ない方法を研究しているだけ」と語る。職場でも家庭でもシンプルでエレガントな生き方は理想的だ。一流の生き方を歴史から学びたい。
キヤリア・コンサルタント本田勝裕