チエリ・テレ(Univ. Lyon - CRIS(*) )
(*) Centre de Recherche et d'Innovation sur le Sport
ギイ・チュイリエとジャン・チュラー(1990)は最近、研究対象の技術性(technicité)によって歴史研究の方法に大きな違いがあり、伝統的歴史研究と異なる様々な歴史研究が存在することを指摘した。二人は特に肉体の衛生史を例に挙げている。
《技術的》性格を有する歴史研究の対象の中で、肉体は長い間、人類学的分析に任されてきた(Dosse, 1987) が、今や、肉体のありとあらゆる表現行動(manifestations)に渡って研究されるようになり、APSのような肉体的生産行動(productions corporelles) は、こうした歴史研究の重点移行(recentration)の影響を免れない。しかし、この《技術性》の影響は、ここ数年に至るまで、知的生産行動(production savante)の面ではどちらかといえば周辺的であるという印象がある。ピエール・アルノーが数年前、明らかにしたところによれば、1981年から1987年の間、10人の研究者のうち9人までが大学に所属する人々であり、10人のうち6人がSTAPS専任教官とEPS専門家であるという。
現在の傾向としては、研究者の範囲にかなりのバラツキが見られる。シャンベリーで1991年に開催された第116回学術団体会議で発表された演題を例にとれば、研究者の所属は逆転し、10人中6人までがSTAPS以外の関係者である。(この比率はその後新しい動きを見せつつある。)その上、この会議で初めてスポーツを扱った発表演題が登場し、現代の歴史専門の研究者たちがスポーツに関心を向けていることを示している。こうした状況から、いろいろな問題点が発見できる。それが本稿の主題となる。STAPSの人々は専門の歴史家とは別の歴史を書くのか。APSの歴史研究の対象、方法、課題を広い視野で見ることは、はたしてAPS史を一つのジャンルないし学派として位置づけてくれるか。この歴史研究の中心は何か。欠けているものは何か。
APS史の研究対象は特定のユニットにまとまったものではない。興行(オリンピック競技会)とか、行事(ボクシング、学校体育)、時代や人物(ピエール・ド・クーベルタン)、制度(学校、ジムナスティーク協会)、抽象的テーマ(衛生学、体力)、問題意識(学校の標準化、フランスの軍事化)など様々の対象がある。これらの要素は、多くの場合、相互に組み合わされる。その主な関心は、一見同じレベルに並べられない諸要素間(APSと政治、経済、文化など)の因果関係を解明するというものである。この手でいけば、同一の研究対象でも非常に異なる課題設定ができる。ロベール・パリアントのオリンピック競技会史(1978)を例にとれば、その叙述計画は実に忠実に興行や試合の成功を描こうとするものである。その狙いは歴史認識というよりは歴史知識にあり、ほとんど問題意識に関わる認識をもたらさない。逆に、ジャン・マリー・ブレーム(1983)は、オリンピック制度と1936年のファシストの政治手段を結ぶ関係を解明すべく、この興行を政治的文脈によって再構成している。ピエール・アルノーとチエリ・テレ(1993)の場合は、シャモニー大会とグルノーブル大会をめぐる言説の裏をあばき、この二つの大会の共通性として、共に経済的影響が無かったことを示している。
決定的に明らかなことは、歴史の研究対象は歴史への問いそのものとは無関係に存在するということだ。歴史への問いがどれほど多面的であったとしても、また、フランス史の文献総目録がスポーツ関係を《社会史》の項目で括っているとしても、それぞれの研究方法は、APSを他の沢山の次元が交錯する交差点に置くのである。スポーツは社会全体と結ばれた全体的現象なのである。だから歴史家は、ある時は政治的分析を、ある時は経済的分析を、またある時は文化的分析を展開させて然るべきなのである。その上で、一つ一つの事実をいかすことは、また厄介なことなのである。そこで、問題点をより確実なものとするために、宗教史の研究方法とか地方史の研究方法などを頼りとする傾向が生まれる。(Arnaud, 1990; Callède, 1991)
それでもなお、多面性ということは必然的に残る。どんな手立てを求めても、歴史の研究対象ならびに問いかけが自動的に歴史像となることはない。ここ2年間に出版されたフランス語の著作を例にとれば、アルピニズム(D.Lejeune, 1991) やフットボール(Wahl, 1990; Laurent, 1984) やボクシング(Rauch, 1992; Philonenko, 1991) などの実技史がある。制度史(Arnaud, 1990)がある。近代性の思想史(Ehrenberg, 1991; Lebreton, 1990) や美学思想史ないし建築思想史(Gautrand, 1989; Le Bas, 1991)がある。時代区分や年代記(Gay-Lescot, 1991; Schmidt, 1991) がある、通史的歴史像(Thomas, 1991; Hubscher, 1992)がある、といった具合である。
しかし、歴史家が取り組む問題は、常に同じ価値があるかどうか。基本的な価値は別としても、STAPSでは、かなり以前から、編年史的歴史叙述(l'histoire historiographique)を避け、その代償として、《新しい歴史》の研究がゆっくりと事件史的な傾向を修正しはじめた時期に歩みを揃えて、問題意識の過剰傾向が見られる。レイモン・ブドンに言わせれば、それは間違った問題設定である。これを歴史的認識論(l'épistémologie historique)という視点で見れば、なるほどそうかも知れない。記述的(descriptive) 方法と解釈的(déductive) 方法を明確に区別するのもよかろう。それによって、STAPSの歴史は、科学的正当性から見て存在理由がある、ということが容易に理解できる。
ところが、よく理解することとよく知ること(理解と知識)は相補的関係であり、すべては、語り(物語)(récit) から法則(関係性)へと進む連続体(continuum) の中での程度問題、釣り合いの問題である。例えばフランソワ・オッペンハイム(1977)のスポーツ的水泳(natation sportive) 史〔水泳競技史〕は、パフォーマンス改善と技術進歩の観点から制度的行動(la pratique institutionnelle)の顕著な時期の連続性を解明しようとするものである。拙著(Terret, 1992)でも再検討したが、社会的、文化的、あるいは経済的な主要な関わりの中で、スポーツ的な文化関係(l'acculturation sportive)の問題点(problématique) を明らかにした。その知識は、恐らく理解が得られたものと思う。しかし、厳密に見て、この問題点に関わりの薄い側面は、そこでは意識的に捨象されている。(例えば、大戦間期のフランス人チャンピオンの伝記的アプローチが欠けているという批判もある。)こういった知識はスポーツ現象の理解にとって、最重要のものではなく、最も《興味》の薄いものだといった見解もあろう。要するに、初級程度の歴史には、新説とか批判とか、科学的といったことは不要だというのである。
しかし筆者はこれら二つの歴史を統合する次のような最善の道を提唱する。すなわち、事実報告を重視し、解釈を排除してディスクールの非人間化をしないこと。感覚的意味(sens)と記号的意味(signification) を関連づけること。単純に言えば、過去の像を精密化しながらも、そこから新しい問題意識がどんどん枝わかれするように心掛けること。確かに、何らかの上下関係(hiérarchie)が生まれることは避けがたい。STAPSの人々には歴史認識が大切だとすれば、専門の歴史家たちには、もっと記述的なAPS史というものが大切なのではないか。専門家の一人が最近筆者に言うには、《技術的》な専門知識を持っているSTAPSの人たちは、単なる古物蒐集家と思われるのを恐れてか、自分の領分の一部を手放しつつあるという。この恐れなるものを互いに理解し認め合えば、APS史を消滅させないような釣り合いがきっと見つかるであろう。
この意味において、APS史に独自の認識論なるものが必要であるとすれば、それはまず、歴史家の立場(科学的立場ではなく、むしろ哲学的、ないし、かつ、社会的立場)を顕在化させるような方向、ならびに、研究の批判的影響を客観化させるような方向を示すものでなければならない。ある条件のもとでは、歴史は、過去ばかりでなく現在の分析手段として役立てられやすい。歴史研究のこの役割は学問的良心のようなもので、都合の悪い結論が出たからといって歴史を禁止したり抑圧したりすべきものではない。(シムソンとジェニングスの抗議表明(1992)がそのよい例。) こうした認識論的反省は、研究対象の多様性、問題意識の多様性、関わり合いの水準の多様性を尊重することにより、さまざまな方法の正当性を保証することになる。
ブローデルによれば、歴史の時代は次の三つの水準で区分される。事実の皮相的区分、事実の過程的区分、事実の(長期的スパンでの)構造的区分。今日の傾向としては、第二のレベルに重点が置かれる。すなわち、中期的スパンで、事実をより一般的文脈として、しかしそれだけに、限定された範囲で区分するのである。実際、歴史の冗長さの問題は、連続・不連続問題とも関係する。したがって今日では、《重い》〔ゆったりと変遷する〕傾向の分析よりも、断絶の時期とか危機の時期が好んで研究されている。
勿論例外はある。ジョルジュ・ヴィガルロ(1988)の技術思想史、ノルベルト・エリアスとエリック・ダニングの、暴力の社会的統制という一般的過程の中にスポーツ行動(pratiques sportives) を(スペクタクルも含めて)統合しようとする問題提起などがそれである。しかし、その後の研究成果は、比較的短い時期、時には一世紀に満たない時期、あるいは数年間に限定された時期について集中的に行われているのも事実である。1880〜1914年の時期が特に研究されたのは、この時期、フランスに新しいスポーツ行動の形式が成立したという理由によるものであるが、それ以後の研究は大戦間の時期に集中している。
周知のとおり、いくつかの時期(例えばヴィシー政権期)は長いこと忘れられている。ほとんど研究されていない時期もある。中世、ルネッサンス期、啓蒙期などの研究業績は数少ない。STAPSの人々の関心も稀である。(例えば、J. Céard, Mme Fontaine, J.C.Margolin。)この時期の研究には、研究者養成の影響も恐らくある。史料蒐集の困難、史料源の少なさもあろう。
最近の論文を分析すると、最も頻繁に使用される史料源(第一次史料)は次のものである。印刷・手書き史料(専門書、一般書、辞書、辞典、年鑑、年報、手記、記事、雑誌、紀要、全集、会議報告書、専門新聞、一般新聞、公報、BAMIF 、INSEE 統計、公的機関の報告書、市立公文書館、県立公文書館、国立公文書館、内閣資料室、公共事業、病院、警察、陸軍文書室、連盟・個人・団体の私的な書類室など。) 講演録、絵図(地図、絵はがき、漫画、ポスター、折り込み広告、写真、建築図面など、実際に用いられることは比較的少ない)。ヴィデオ資料館。
史料源とその保管場所、史料の性格は非常に幅広いものであり、研究者の生きている時間と生きている場所の他に阻む要素はない。史料発掘の創造性と忍耐の点で最も印象的な二つの例だけを次に掲げる。
APS史研究における史料の扱い方は、歴史研究一般において遵守されている通常の扱い方とほとんど変わらない。統計的分析、地図作成、人類学的方法、伝記的方法、構造化、聞き取り、名言集、内容分析(文章内容ないし口述内容)、生活史など、もっと政治的考察、社会的考察、文化的考察、経済的考察、場合によっては一般的考察などに発展する。こうした研究手法はしばしば、設定された問題をさらに詳しく知るために質を高め、数を増すことがある。比較論のアプローチは将来性がある。(国別比較、スポーツ行動の比較、性別比較など。)この他、APS史研究は、他の学術領域が用いている研究方法をどんどん取り入れるべきである。
APS史の研究者はたしかに、他の学術領域で用いられている研究方法と概念を借用する傾向がある。社会学はその主要な借用先となっている。なかでも、構造という概念、正統性の概念、生活領域(champ) の概念など、ブルデュー派社会学からの借用が、ドフランス(1987)、ポシエロ(1984)の研究に見られる。ブレーム(1976)はマルクス主義社会学からの借用であり、ルジア(1990)は弁証法社会学(dialectique) から、カミーとヴァンサン(1981)は現象学の影響を受けた形態の社会学(de la forme) から、カレード(1987)は人類学から、ローク(1988)は民族学から、それぞれ借用している。
APS史研究が、例えば心理学や経済学、地理学などの領域からの研究手法をもっと強力かつ顕在的に採用することも考えられないことはない。すでにその例がある。この点において、しばしば言われる全体史の主張は、現実的にみて、学術領域への位置づけを困難にする巨大化志向ではないか。
一方、研究手法の転用、より正確に言えば、研究手法の移入ということだが、これは、概念の永続性、概念の馴化といった、歴史研究における古くからの問題を提起させる。例えば、20世紀初頭、いくつかの新聞社の独占企画として、都市を渡るという形式で水泳競技が開催され、それが、このスポーツ種目(pratique)の普及に貢献するという現象があった。筆者は、この現象を描くべく、「水泳のメディア化(médiatisation) 」という概念を用いてみようと考えた。歴史家たちの批判は当然である。メディア化とはかなり現代的な現象に対して用いられる概念であり、20世紀初頭といった時期では、十分慎重に用いなければ問題があるということだ。
この問題は特に、STAPSの歴史家たちに関わる問題である。何故なら、彼らは歴史の時期よりも事件の方に関心を持っているからである。例えば中世の研究家たちは、自分たちの専門とする時期に適用されるべき特定の概念を専有している。18世紀の専門家たちも自分たちの概念を持っている。それぞれが自分たちの時間的枠の中に安住している。ところがSTAPSでは、このような点での専門性はない。STAPSの歴史家は19世紀を研究したり、1960年代を研究したりするので、不慣れな概念を性急に借用することの危なっかしさが伴うことは明らかである。
APS史は最終的に、ジャック・レオナール(1978)の健康の歴史、ジャン・クロード・ボローニュ(1986)の慎みの歴史、あるいは、ジャン・ピエール・グベール(1986)の水利用の歴史、といった《技術的》歴史と同じような性格を持つ。この著者たちは皆、自分たちの研究手法が学際的手法だと明言している。ポール・ヴェイヌ(1971)が言うように、歴史には研究方法がないとすれば、APS史はどの歴史よりもこの考え方に相応しい。APS史の豊かさは、まさにこのような、方法論と研究手法の《交差点》にいることから来るのである。APS史の研究者たちは、筆者に言わせれば、何か一つのジャンルとか学派への帰属を主張すべきではなく、むしろ、いろいろな手法や概念を自由に駆使し、独創的な問題設定をするという研究能力を認めるべきである。
例えば筆者の先の論文での問題は、フランスにおける水泳競技は伝統的遺産の変容形態なのか、それとも、外からのモデルの移植形態なのか、ということだった。当初、種目と思想を考慮し、事実の分類を行う必要があった。つまり、経験的には異なる種目と見られる水泳のいろいろな種目を一つの枠にまとめなければならなかった。その頃の筆者の観点は人類学的なものであったが、研究の第二段階では、これらの実践を相互に比較し、種目に合った少し違った別々の基準をつくることによって、全体の分類をすることを考えた。ここで、実践形態(formes de pratiques) という概念を援用した。これは形態の社会学と現象学(R.Ledrut, 1984; G.Simmel, 1981)からの借用である。
最後に、いろいろな実践形態の中心となる種目の相互間に競合関係が見られたので、正統性、抵抗性、普及性といった用語によるアプローチを考えなければならなかった。これはブルデューの研究からヒントを得た筆者の概念である。たしかに、ブルデュー的社会学と現象学を組み合わせることは、学術的にはいくらか軽率の感がある。しかし、こうした学問性の乏しい借用や組み合わせを正当なものとしたものは、問題設定の性格ならびにそこから生じる副次的問題設定の独創性なのである。
結局、こうしたAPS史の学際性は、その研究対象の技術性ということにあるが、研究者養成という点では容易なことではない、ということを明記しなければならない。ところで、この分野における学術的研究成果は、ここ15年余りの間に発展し、リレーのバトンタッチよろしく、学生たちには、一つの専門的文化が確立されていることを正当化するまでになっている。STAPSの学生たちに尋ねてみると、彼らはP.アルノー、G.ヴィガルロ、A.ローク、J.ドフランス、J.-M.ブレーム、J.-L.ゲレスコ、G.アンドリューといった人々の名を答える。
しかし、ブローデルやルロワ=ラデュリの名は知らない。彼らの知っている専門的歴史家といえば、フーコー、アリエス、あるいはエリアスといったところだ。この人たちですら、長い間、まともな歴史家のはしくれでしかなかった。言い換えれば、APS史は今日、正体不明の研究の数で自己定義し、最も古典的な歴史とは縁のないものとされているのである。
現代APS史の主要な研究対象と問題設定、時代区分、研究方法(史料、他領域からの手法の借用など)について概観してきた。以下、二つの主要な事項を掲げてまとめとしたい。
◇ STAPSの人々は1980年代のAPS史発展の原動力であった。しかし彼らは段々とこの領域を手放し、編年史的研究を放棄しているとしか言えない。知的生産に関わる制度的観点からの抽象化は、この種の歴史にも独自性(アイデンティティー) があるのではないかという前提を明確なものとすることを、あいかわらず困難な状態にしている。特定の研究対象を追求し、様々な研究手法を借用することによって、何らかの専門性を見出そうとして今日まで進んできたAPS史は、今や、STAPSとの関わりよりも、むしろ、いわゆる《新しい歴史》と関わっているように見える。
◇ APS史の研究者たちは、誰もが混乱状態にあり、意識するしないに関わらず、《新しい歴史》(新しい研究対象、新しい問題意識、新しい研究方法)の大潮流に揉まれ、少なくともSTAPSという学術領域の中での自分の研究の立場を明確にできていない。現状では、何ら独特の研究とは認められず、いたずらに研究手法の見ばえや組み合わせ、問題意識の大まかな表明、史料の多様化にはしり、時代区分への配慮が欠けている。
こうした散漫な状況に並行して、知的生産がかなり増大していることも明記すべきだ。研究室では、外部(著書、雑誌、指導者、講演者など)との交流関係の改善が企てられている。その灰塵の中からスポーツ=歴史雑誌が生まれる... 〔のであろうか。〕
今や総合化の時期である。つまりAPS史の歴史の第一段階の総括の時期である。この意味において、ロナルド・ハブシャー(Ronald Hubsher)の監修で最近出版された大著(高価)フランス・スポーツ史は、専門的歴史家がこれまで手がけたことのない総合化(の第一部)に類する(間違もある)モデルであると言えよう。
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