Paul Goirand: Plaidoyer pour une technologie culturelle.
1992年、リヨン大学のUFR−STAPSが体育教員専修免許資格(Post-Licence-CAPEPS) の受験準備のために補足としてEPSの教授学分野の修士コースを計画した際、この教科の戦略的選択の問題として意義づけられた。教職への準備や専門職業の自己正当性の問題以上に、教科の正当性問題は1967年以来安定しているものとする一定の共通理解があったが、APSの社会的実践の発展により再検討されることになり、APSに向けられた分析の目は、EPS分野の国民教育省への統合と形式的概念の復活によって、教育課程全体を通して獲得される知識を総合化するものとして選び出された。
EPSがまだ教科であるかぎり、今でもまだその正当性の追求は必要なことである。EPSは今でもまだ、法的条項によって守られているとはいえ、身体活動の継続以外の何ものでもない。各身体活動で獲得された価値の転移性 1 というテーマはここ数年、専門研究の中で提示されてきたものだが、その成果はまだ何も得られていない。この問題は、正面から答えることが難しいだけでなく、迂闊に答えることは危険である。スポーツ活動あるいは表現活動は、生徒たちの間では非常に好評である。学習活動はこの事情のもとで大変容易に目標づけられる。生徒たちが思い描いている実践のイメージを壊すような学習内容を避けるといった「授業の計画化」 (教授学化) が転移問題に答えることを難しくする。 2 その上、この学校的形式としての「教師中心」の義務的な活動の展開法は、転移能力の発達の面では授業の効果をまったく証明しなかった。EPS科の歴史(体育史)が描こうとしてきたことは、国民教育省の管轄に戻ることが《形式主義》的に教科内容を再定義することであり、その形式主義が教科内容を軍隊、自然あるいはスポーツなどそれぞれの時代の《現実》から遠ざけてきたという事実を暗に示すということになりがちであった。
この体育史における教科概念の形式主義は少なくとも、可能とは言わぬまでも望ましい転移に関する二つの側面を提示する。ひとつはアプリオリな転移であり、体育内容はあらゆる状況に転移可能であるとするもので、心理=運動系がすべての学習に開かれている。もうひとつの側面は、アポステリオリな転移ということになる。これは社会的意味を非常に強く反映する場の中で習得される学習成果の内面化の条件を追求するものである。
修士コースの学生たちに提示されるべき中心テーマは学校体育とその源泉ならびに指標となりうる社会的慣習の関係に関するテーマである。この関係は非常に教授学的なものであり、指導の場の構築と活性化を容易にするが、特定の身体的スポーツ的文化の自明性に依存している。 3
学校体育がスポーツの文化的背景につながるものであるなら、APSの種目ひとつひとつの歴史についての高度な研究は、人間がなぜそれらを発明し、改善し、そして放棄したのかを理解させてくれるものでなければならないだろう。APSの文化人類学的な人間把握は、運動性のモデルを形成し、個々の人間たちの間で固有の関係を構築してきた行為の構造化の発展過程といった点においてわれわれの注意をひく。注目すべき点は、教師がその教科内容についての思考の源泉とする実践面での文化の脱文脈化、形式化の仕事である。しかし同時に、学校という場に向き合っている生徒は生徒で、自分のものとして意識している社会的慣習の指標に照らして教科内容を見ている。この両面は衝突せざるを得ない。教師は常にその生徒に対して自分の指標を正当化する。
EPS修士課程をめざす学生の教育においては上記の問題はいかに考えられてきたのか。大部分の場合、かれらの教育は、事実を教授学的連続・断絶の観点で解釈する方法論的意図にもとづき、三つの大きな知識系列の周囲に展開されている。
一、スポーツ的慣習の歴史的発展過程 … 文字通り技法的行動知に関する認識論
この種の研究は、社会的政治的文脈(そしてこの文脈を通して流通する価値観)の中の実践目的、実践を組織化する規則や法規、そして固有の技法内容などに関係づけられる。この研究は、文化的なものを生産し容認する社会の類型に常に位置づけられる文化的なもののゆっくりとした曲がりくねった推敲過程を教えてくれる。この研究は、これら実践を構成する個々の因子の中での、すなわち実践者の心理=運動性の組織化の中での空白、文字通りの飛躍を明らかにしてくれる。
二、学校教科としてのEPS の歴史的発展過程
この種の研究は、EPS の社会的目的、その法規、内容、展開などにおける空白を自ら明らかにする。学校的慣習の分析を可能にする視点は、そのまま、社会的慣習すべてに意味を賦与する視点でもある。しかし、この種の研究は、EPS 科がいかにして社会活動、スポーツ的活動その他の活動との同化の関係、ないしは逆に離れた関係を保ってきたかということを教えてくれる。体育=スポーツ問題は常に教科の有為転変の歴史を描く時の背景となるものである。
三、生徒と知識・行動知のタイプの関係の発展過程
特定の知識に適応する際、生徒が示す執拗な抵抗の研究は、運動学習の障害を明らかにしてくれる。 4 知識の構築がいかに量的成功の縛りによって、言うなれば最初の印象のつくりかえという縛りによって進められるか、つまり、それは空白の問題でもあるが、そこで生徒は提示された仕事の要求と出会うのである。
これら三種の空白問題のからみ中で、教科のアイデンティティーの構築がなされる。転移問題に戻って考えると、つぎのように言えるであろう。「生徒が運動学習課題に直面して感じる障害の内実の構造が分からない以上、われわれは知識の転移ということをまともに論じることはできない。」この信念はスパイラル・グループが常に行う選択、これまで自分たちの仕事を方向づけてきた選択の仕方を示している。 5
教科の古典的性格 6 を提供してくれるような体育の定義を急ぐ教師たちは、規則条項をつくり、そしてそれはいずれにせよ今でもやられていることだが、提案を価値付け、そしてこの実験的価値付けの条件をつくり上げることができる。教科には何らかの政策決定が必要である。しかし、科学的基礎と実験的証明も必要である。ここにこそ、教科の正当性をめぐる教科内容とその構築、そして指導者養成の問題の核心がある。文化的なものをちらつかせるだけでは駄目であって、文化的なるものの本質を定義する必要がある。文化的なものが教育的なものへ転移するにちがいないというだけでは駄目であって、そうしたAPSの転移の過程を具体的に調べ、そしてつぎには、どんな条件で教育へ転移するのかを明らかにしなければならない。
「第一の問題については、私は、教科の基底を正しく考慮することだと考える。教科の目標はきっちり定められた能力プロフィールによって特定される生徒を離れて作られるものではなく、人格発達の正しい知識と態度の発達過程を方向づけることである。.... 人格発達と文化適応が一番大切なことであり、能力獲得はそのための主要な要因であって、目的そのものではない。」と、ジャン・ルイ・マルチノー(1989)は述べている。
国立教育研究所の行った研究(Mérand.1983) 7、EPS夏季大学に関する研究(Dhelemmes, 1993) 8、スパイラル・グループの研究(Goirand,1990) 9 などは、すべて同じ結論に集中している。すなわち、EPSの目標は技法能力を転移させることではなく、かりに難しいことではあっても、生徒たちのやりたい方法で身体活動を自由に選択するようにさせるような態度や能力や知識を発達させることである。自分たちの身体生活を作り上げることを学ぶことは、EPSに認められた不変の関心である。
「APSは、生徒たちの固有の経験の中でよりよく推敲されたものを教育の中に導入するのでなければ、教育制度の中で完全に承認されることができない。それはまさに自分自身のための自己変革活動を社会的にルール化する経験であると私は言いたい。」(Y.Clot, 1989) 10
文化適応の問題、より高く推敲されたスポーツの実践内容の問題は共通理解の余地が少ない。なぜなら、すべての著者たちがスポーツ文化や生徒たちに伝達することによって彼らの人格の全面的開花を可能にさせるような基礎的因子について同じイメージを持っていないからである。
しかし、学校の大半を陥れている教育の危機は問題の根本的原因追求に向かわせる。教師の言動への一部の生徒たちの反抗的態度は、APSというものの非常に固定的すぎる一般の考え方について教師たちの再考を促す。ついには、女生徒たちの実践についての考察などが同じ意味で推奨される。スポーツ的活動に関する歴史的、文化人類学的アプローチは今やかつてないほどに、生産された技法の表層を超えてこうした活動の人間的な深い意味を理解する上で必要であると、アンニック・ダヴィスが書いているのは驚きである。
どんな文化、どんな文化的関係がどんな人格発達のために必要なのか。これこそ教師の頭を悩ますもっとも耳慣れない難問なのである。いかにして生徒たちを社会集団の認知する文化領域(価値、知識、技法)に誘いこみ、一人一人が独自に発達するようにさせるか、これがあらゆる指導の矛盾である。
EPS科指導要領は、とりわけ臓器の能力、根底的能力、運動性能などの発達ならびにスポーツ文化の領域への接近といった教科の一般目標に向かっている。かりに1985年以来、これらの目標が再検討されていないとしても、教師がすべての生徒のための運動学習の具体的条件をつくり出せるような何らかの原則に、これらの目標を転換させる手段が必要である。しかしこの原則にしても、APSや野外活動、表現活動など、人間(男女)が相互にコミュニケーションを行い、自分たちの知性、とりわけ運動性を発達させていった歴史的に設定された場についてもっと深い研究に支えられるのでなければ、正しいとも信頼できるともいえないであろう。
身体教育は技法が一杯の実践分野である。パルルバは皮肉をこめて「技法の脱け殻」だと批判しなかったか。今日でもまだ、ルネ・グラッシノ(1980) 11 も言うように、EPS教師の世界の技法概念には一致が見られない。「その訳は、技法にはそれぞれの信奉者と誹謗者がいて、それぞれが磨き上げた厳密な観点から互いに闘ったり無視したりしているからである。」つまり70〜80年代には、技法に関する言及は、その信奉者にとって恥知らずの言及であり、その誹謗者にとって動脈硬化、身体障害、人間疎外、欲求不満、性不能の言及なのであった。
教職の力関係は技法に有利ではなかった。とりわけ1968年以降、創造性とか表現の自由とか反画一主義がきわめて社会的にイデオロギー的立場を強めた。指導内容の構築過程としての技法重視は、非教授的指導法、後に新指導法、に場を与えた。技法主義は誹謗され、技法への言及を放棄せざるをえなかった。
この論争は今日でも重要であり、論点を移し、論調を変えている。技法への言及は、学校制度としてのEPSにおいて、社会変貌を如実に示し、諸現象の技法的把握と個人的昇進にかかわる効果をつくり上げる。過去20年近くにわたりEPS教師たちを分裂させてきたこの矛盾は再検討すべきであり、また分析すべきことである。
事実、ジャック・エリュルが強調しているように「いかなる社会的事実、霊的事実も、近代において技法的事実ほどには重要ではない。ところが、どの領域でも誤解している。技法的現象を位置づけるべき知の場所を示す標識を立ててみよう。」これは彼の著書『技法、世紀の中心問題』の論点である。
グラッシノ論文に戻って考えれば、技法をめぐる論争は技法に対して間違った定義を与えることにもとづく何らかの混乱、誤解に起因すると言えよう。技法は効果性と生産性の活動である。人間が克服しようとする条件に適応するというこの知的側面は、誰も否定できない。コンバルヌー 12 はヴァレリーの「人間の策略」という言葉を引用している。しかし、そこに若干の意味あいの違いがある。グラッシノにとってあらゆる人間の効果的行動はすべて技法と考えられる、要するに一人一人の人間が自分の技法的正さを持っている。ところが他の、恐らく大部分の著者たちにとって技法は伝統的行為から来るものであり、集団によって認知され伝達可能なものなのである。(Mauss.1989) 13 技法は社会的価値の運搬者ということだ。
残念ながら、道具としての技法的問題解決、行動知、行動知の知識、写真に撮影され抽象的側面の蓄積されたもの、技法を生産する動機の解明、技法が解決しようとする課題の一面的な解決、副次的備給に関する忘れっぽい個人的行為ないし集団的行為。これらは研究者に対してそれらの最も表面的な側面を提供する。技法から人間臭さを取り除くようなこした分析がこれまでなされてきた。そこには戻らないことにしよう。すべての技法の基礎となっている複雑な創造的行為の内実を理解することの方が技法を再生することよりも大切なのだ。アンドレ・オードリクーは技術教育を弁護する。彼は、ランジュヴァンの科学論を思わせるような論述でつぎのように書いている。「学校教育における技術の発達には多くの利点がある。... それは人類進歩の一般史の中に個々の技法の一つ一つを挿入することを可能にし、機械中心主義と人間中心主義の対立関係を克服させてくれることであろう。」
EPS教師にとって最も重要なことは、卓越したスポーツ選手が発明してきた技法的問題解決を認識することである。確かにそうだ。しかし、まず最初にすべきことは、技法の中に込められている人間的能力を分析することだ。
技法は発達水準の指標である。ある技法の習得はその技法の担い手である諸能力の発達に関与している。「人類は、その技法のお蔭で、自分たちの生存条件を変化させることによって人間固有の本性を構築し変化させている。」と、アンドレ・ルロワ=グーラン 14 は教えている。アレックス・レオンチェフ 15 は、各世代がどれほど上手に先行する世代から引き継いだ豊かな遺産(物的遺産、知的遺産、思想など)に順応してきたかを示している。また、その遺産の核となり血肉化されている人間としての固有な能力を発達させてきたかを示している。
EPS教師にとって重要な関心事だ。指導内容の豊さは、教師がスポーツ文化ならびに技法的産物の分析から引き出す概念の如何にかかっている。
このスポーツ文化とEPSの関係について、科学的というよりイデオロギー的論議で互いの言葉が届かなかったあの時代に、教育の専門領域に警鐘を鳴らした功績をロベール・メランに与えよう。雑誌『ロム・セン』(健康人)の1966年9月の論文の中でメランは体育とスポーツの関係についての彼の概念を提唱している。上記のことを裏づける彼の基本的な言葉を引用しておく。「人類の社会=歴史的経験は客観的外部世界の現象形態として堆積する。この外部世界、例えば工業や科学や芸術(スポーツは科学と芸術に含まれる)といった世界は、まさに人間本性の歴史を表現している。この世界こそが人間に対して人間らしさを与えているのだ。... 人間が真に人間的な属性と能力を獲得するのは、こうした習得に順応する過程のすべての結果以外のなにものでもない。... 」
メランは技法主義の陥穽に気づき、これを告発してやまない。彼はスポーツ的活動の本質的考察を主張する。それは技法的問題解決の羅列としてではなく、実践がもたらす具体的形態にとらわれずに主体の活動の型をつくり、主体の性質そのものを変形させるような規則の制約、運動課題の解決と社会的運動課題の解決の全体としてである。
スポーツの技法は、運動応答それ自体、すなわち時間と空間の中に移される分節化された(結合と分離の)協応システムから研究されうる。しかしこの応答をもたらす主体の活動は、活動を促すシステム機能、すなわち移動システム、エネルギーシステム、情報システム、動機発生システムなどの観点から研究されうる。
技法の構造と機能は解決すべき課題と関係している。技法的解決には技法の課題が対応している。もう一度コンバルヌーを引用するなら「技法の対象すべて(スポーツ的行動知は技法の対象)は常に明確化された課題への具体的解決策」だと言えよう。
課題の宝庫としてのさまざまなスポーツ的な場について語ることは、すでに分かっている解決策がそこに詰まっていることを語ることではない。この態度は、歴史的な場における偶発的かつ暫定的な応答として技法を相対化する。技法に関する公式論に「集中化」することがここ数年、教師を理想型の模索にはしらせた(Goirand.1987) 16 にしても、年々蓄積される課題解決に関する研究は、人間がこの種の課題解決能力を発達させる水準ならびに同等条件における可能的進歩の過程について教えている。
「諸技法の歴史、さらには個々の技法の歴史は、技法的性質を含む活動によって人間が課題を解決する能力が、ほとんど止まるところを知らず増殖しつづけてきたことを示唆している。」コンバルヌーはこう述べている。
このゆるやかな人間の環境適応は着実に行われてきた。革新と伝統の間の弁証法の中で進むこの発展過程は、その挫折、系譜、断絶を明らかにするために研究されるべきである。これはまさにスポーツ技法の歴史であると同時に、蓄積された人間的能力の歴史、すなわち人間発達の歴史である。
技法に関する公式論、抽象論は社会的承認を得ているが、それがために技法は、個人一般に対して重みを持ち、個々の知的適応活動を妨げる。(A.Fabre) 17 こうした技法概念は、一人の個人としての人格独自の創造の自由、表現の自由を護ろうとする反論を生み出す。行為の有効性は、外的抗力との直面、時には非常に厳しい抗力(身体的、文化的な)との直面において見られる。また、ある程度環境によって刺激を受ける内的抗力(心理的主体が働く法則)との直面において見られる。すでに克服された適応過程を再び持ち出そうとせずに、そしてそれは最も滑稽な技法墨守の過程とも言えるが、主体は受動的であり得るだろうか。
イヴ・シュヴァンツ 18 は、指示された作業と実際の作業の間の隔たりを研究している人間工学的研究をとりあげ、この受動・能動のジレンマを脱出することを提案している。
指示された作業とは概念レベルのことであり、公式化されたものである。実際の作業とは一人の人間の生活の連続性、ひとつの歴史の中に活動を挿入することである。この二つの文化形式を対立させることは問題でない。そうではなく、概念的なもの、形式的なもの、指示的なものが、技法的行為の中で、あるいはそれを通して、露呈される人格として自ずからを把握する弁証法、そしてまた、再獲得された活動が予測や理論知などを再び働かせる弁証法を理解することが問題なのである。
スポーツ的実践はすべて、目標においてではないにしても少なくとも過程において何時いかなる時も自動化された過程でありえないが故に、自己を活用する選択肢を含んでいないだろうか。つまりは実際と指示との隔たりということである。
外部と内部の間、指示と実際の間、効果と意味の間に常に見られるこのような緊張関係(Clot.1993) 19 は、人間が自己独自の財産を自らの中に内面化するために、あるいは、それを克服し、自らを発達させるために支払わなければならない金額である。
この問題がわれわれに要請しているのは、スポーツに対するイデオロギー的立場の主張などよりも、ある技法の創造と普及を可能にしてきた歴史的条件の解明であり、技法的訪ソを内面化する場面に習熟することを可能にするより一層教授学的(教育心理学的)研究である。
イヴ・シュヴァンツの言説を、きわめて心理学的な厳密な研究方法であると解釈するのは危険であろう。そうなれば、主体はその個別の歴史に連れ戻され、社会的文化的文脈から切り離されてしまう。第一に、技法の発展過程のある段階で公式化され表象化された技法対象は、それを生み出した環境の社会的政治的営みのすべてを流通させる。技法対象を自ら内面化した個人は、彼自身、価値の運搬者であり、表象の運搬者であり、潜在能力の運搬者である。この出会いは、生産環境あるいはスポーツ環境の抗力が永久に働く文化的次元に向かって開いている。
多くの著書が技法の形式性について論じている。また、バイオメカニクスが捉える粗末な動作形態や動作記述に傾倒している。これらがどれほど面白いものであるにしても、動作を取り巻く社会的文化的条件については何も教えてくれない。また、そうした技法を発達させた人々ないし社会集団の動機についても何も明らかにしない。事実そうであるが故に、これらの著書は文化的意味を失っている。
モースやボルタンスキーの業績、とりわけヴィガルロの業績 20 は、スポーツ技法のためにも身体技法一般のためにも、いろいろな社会集団がその身体と取り結ぶ諸関係を解明し、そうした諸関係を生み出す恣意的な技法使用を強調している。どのスポーツ技法もこの社会的刻印を免れない。実践活動の時空構造による特定化された実践形式、社会化可能性のタイプ、その技法性は社会的条件によって偶発的なものであり、その条件の中で実践形式が生まれ、発達しそして消滅するのである。実践形式は、特定の時期の社会ならびに個人の必要性を引き受ける社会の力関係に左右される。たとえスポーツ領域での技法の自己発展のようなことが認められるにしても(Leziart.1989) 21、社会の諸力が流通させる実践形式ならびに技法は社会の文脈によって大幅に規定されている。このことから、実践形式の発展過程には一切の恒久性も統一性も存在しないとすべきだろうか。また、諸個人を特定の課題に向かわせるような本質的人間的な動機があるとすべきだろうか。存在形式と身体活動本質の間の弁証法は、APSの文化的側面の分析に役立つであろうか。そのことから、文化創造の動因(Goirand.1989) 22 が、APSの内部矛盾とその背景社会の矛盾との出会いの接点にあるとしてよいだろうか。
こうした分析が示す傾向はつぎのような言葉で言われている。「一定の時期のAPSの内的論理は、その時期の社会・スポーツ的領域の内部闘争の論理の帰結以外の何ものでもない。この力関係こそが、歴史の一定の時期に訓練の空間と道具を指示し、規則を定め、評価システムを固定化し、倫理的価値を確立し、美的基準を決め、推奨される動作を形式化し、この領域が評価すべき外的モデルを援用させる。」(Pociello.1994) 23
文化の技術学のために弁護しよう。文化の技術学は明らかに、技法と技法を生み出してきた社会的文化的文脈の間のこうした秩序関係(システム関係)を技術学が確立しようとする限りにおいて技術学を見ている。非常に野心的なこうしたスポーツ技法研究の領域の拡大は、研究対象となる実践の目的、価値、目的の組織的表現としてのルールの側面、そしてその自由の論理における技法そのものを一度に引き受ける。技法研究の《社会学化》や《文化人類学化》が問題なのではなく、総合的解釈において、スポーツ的技法現象におけるより人間的なものを規定する多様な研究方法の統合が問題なのである。
ベルナール・シャルロの所説(24)を総合してみよう。彼は非常に広い技法文化の概念を展開し、産業世界の専門的技法文化、ポール・ランジュヴァンが人間を結びつけているものとした技術者の文化、普遍的文化、そして、近代的世界の理解のための固有の接近方法としての文化、といった通説となっている三つの意味を設定している。こうした理論設定によってシャルロは技法文化の存在条件、基礎、要因について分析している。技法文化の存在条件は実施と概念、行為と概念の再の中にあり、両者の間には技法資料、機械、組織など先行知識、伝達可能知識を生み出すものが介在する。技法文化の基礎は技法言語、近代性との事実関係、技法進歩の評価、生産過程の集団化の事実関係、共同体帰属意識である。そして、技法文化の基本的要因には三つあり、目的化されることにより技法は概念化過程をへて経済的文脈および社会的文脈の中で効果の産出を目指す。コレージュの技法文化は知の様式と知の応用法を意味するのではなく、求められる効果のために知そのものが選ばれ生み出される目的化された過程を意味する。技法形成の狙い、それはコレージュにとって重要なことだが、近代性にいたる道であり、複雑システムの理解であり、また、古典的な意味での技法が経済ならびに社会生活との間に結ぶ関係の理解である。
「現在、技法文化は人間や普遍世界へのアクセスとしてだけでなく、人間だけのアクセスとして、現代社会を理解する正しい様式として、定義されようとしている。」 24
技法のこの分析モデルは、(文化主義的な意味ではあるが)厳密にスポーツ的な狙い、教育行為の目的と価値に焦点化された教育的な狙い、文化遺産と絶縁しスポーツ文化の諸要因の個人的発達を見捨てる形式主義的な狙いの三つの間で引き裂かれている学校のスポーツ実践を適正化し直す方法を教えてくれるかも知れない。
スポーツ実践に向けられるわれわれの眼差しは、教授学に熱中するEPS教師が好む眼差しであり、皮相的な意味づけが濃厚であり、伝えるべき本当の事を明示することの困難な文脈の中で運動学習の意味を捉え直し、生徒と知(行動知、技法知も含めて)の関係を活性化し直そうとする眼差しである。
ポール・ランジュヴァン 25 が『歴史科学の教育的価値』を書いた時、彼は歴史を教えることを頼まれた人々の養成の中で歴史的観点が果たす、果たすべき役割の重要性を主張したのである。
彼は、伝統的教育が、死んだ知、確定した知、教条的な知、一般化されすぎた知になってしまっていることを遺憾に思っていた。彼は物理学から例を引いて、教条化によって理論が柔軟性を失い、殺菌される顕著な一例として示している。こうした一般化のし過ぎによる欺瞞的態度はついにはもう、既知から未知へ向かわない態度にまでなるのだが、彼はこれに反対して、より賢明な態度、より批判的で、知識を相対的に価値づけし、制約の中で暗中模索し問題を残す段階的克服の生きた側面を知識に与え直すような態度を称揚したのである。
オードリクール 26 は技術学に関する論文の中で「技術学の方法とは何か、現在から出発して過去へさかのぼることだ」と問題提起している。
これまでに引用した歴史的研究の成果の他に、指導内容の構築過程で利用可能な材料を与えてくれる研究が何かあるだろうか。
われわれは下記の三つの観点に関心がある。
一、 それぞれの場、それぞれの時期に存在した実践形式の文化的固有性ならびに、特定の実践を正当化するための闘争についてよりよく理解すること。
二、 年月とともに行動知が確定していく過程を理解すること。この技法の航跡、革新の論理、選択された進歩の道筋、新しさの要因、競技者の行動原理の変容を特定すること。発展過程の中の空白部分を捜し出すこと。技法のありさまを物質的かつ象徴的に文字通り再構成すること。
三、 生存形式とそれに随伴する技法の彼方に、こうした特定の形式の中で現実化してくる人間的活動の奥深い本質を見届けること。
多様なレベルでのこうしたモデル化は特定のAPSに関わる出来事や現象の解明のための道具であり、そのAPSの分野での予測と革新を助けである。
こうした歴史的再構成は技法の構造分析を可能にする。しかしそこから出発して、技法学習の発展過程が技法史の一部をなすと考えること、技法の発展過程の歴史的空白から生徒がその行動知の適正化過程で出会う障害について推測することまでの間には、たとえ技法の意味生成と技法生成の間に類似性が有りそうに見えても、超えてはならない一歩がある。
ジェラール・ヴィニョー、フランシス・ハルプバッハ、アンドレ・ルーシエは、『フランス教育学雑誌』(Revue Française de Pédagogie)1978年第45号に『教材の構造、生徒の思考発達と科学の歴史』と題する論文を出している。この著者たちが強調しているのは、科学史と歴史的認識論に助けを求めることは支持できる正当なことであるということである。彼らは特定の概念の歴史と、生徒がそれを同化する段階との間の驚くべき並行関係を描いている。
「しかしこの並行関係は一般化されるべきではない。慎重に対応すべきである。とりわけ歴史を参照することは、示唆的であるにしても、教授学固有の研究を省略するようなものであってはならない。」
上記の指摘は、陸上競技、格技、ジムナスティーク、バレーボール、水泳といった分野の専門家たちの研究を悪く解釈することを免れるであろう。
スポーツの専門家たちの研究目標は、ある特定の時期に特定の実践が出現しそれぞれの技法の内的論理が発展することを可能にした社会的条件、文化的条件、さらには心理学的条件を再構成することである。
この目標の公式化は本論文のこれまでの考察の中ですでに提示したような仮説を生み出す。すなわち、各種の身体訓練が同質の研究領域を制定しないとしても、また、その多様性が差異(対立すら)を明らかにし理解させてくれるようなモデル化の努力を要請するとしても(Arnaud.1994) 27、われわれはその多様性の研究を、それらの実践の一体性、それらの活動の本質を規定するものとの全く教授学的な関連において考える。
この種の探索は、時には発見しにくい資料の助けを前提としている。スポーツ界は、総会報告、技術委員会報告、競技大会、フィルム、写真、ヴィデオ、証言といった自分たちの歴史資料の保存には無頓着である。こうした史料学的な仕事には、主題別の探索、時期別の探索、あるいは主題別+時期別の探索、史料の分類、暫定的評価といった、時間と方法が必要である。この再構成と解釈の仕事は歴史家、教授学専門家、スポーツ専門家などさまざまな専門家の協力が要求される。
用いられたいくつかの研究方法の項目を確認しておこう。研究領域が非常に広いので、この仕事は下記のような選択を前提としている。
一、 多くの実践形式の中から一つの形式を選ぶこと。体操的活動、陸上的活動、水泳的活動は特定の時期に出来事が集中している実践形式を代表するも活動であるとする。われわれの研究は探索手段が乏しいため、ほとんどの場合、注目すべき規約を持っている実践形式とか、史料の入手が比較的容易である実践形式とか、高水準公式競技会のような非常に興味深い人間能力の発達の道筋を示すような実践形式といった単一の実践形式を選んでいる。こうした研究上の制約は、その結論の一般化の企てに対して相対的性格を与えるべきである。
二、 研究対象となる特定の技法の数を限定して選ぶこと。実際、各スポーツに含まれる膨大な数の技法は、その全部を研究することを許さない。あるいは、一つの技法から別の技法が生み出される様子を図解する系統樹のようなものを作り上げることを許さない。この仕事は後に残される。
ひとつの広大な研究領域がわれわれの前に開かれており、もっと沢山の研究者とエネルギーを投入する必要があり、われわれの関心である教授学的活用を急いではならない。何しろわれわれは脱出困難な矛盾の中に囚われているのである。如何にして具体化(指導の問題)の要請に答え、そして、如何にして理論研究の方法論的要求を尊重するのか。