朝日新聞2002年10月18日文化欄(30面)
昭和二十年九月二十七日午前十時 於 在京米国大使館
石渡宮内大臣、藤田侍従長、徳大寺侍従、村山侍医、筧行幸主務官 雇従(こじゅう)
定刻米国大使館ニ御到着、玄関ヨリ「フェラーズ」准将ノ御先導ニテ館内ニ入ラセラレ、居室入口ニ於テ「マツカーサー」元帥御出迎申上グ。陛下ヨリ御握手ヲ賜ハレハ
「マ」 本日ハ行幸ヲ賜リ光栄ニ存ジマス
陛下 御目ニカカリ大変嬉シク思ヒマス
元帥ノ御案内ニテ居室中央ニ立御、元帥其(そ) ノ向ツテ左側ニ立テハ米国軍写真師ハ写真三葉ヲ謹写ス
更ニ元帥ノ御案内ニテ「ファイアプレイス」ニ向ツテ左ノ椅子(いす) ニ陛下御着席アリ、元帥ハ右側ノ同様ナル椅子ニ着席ス。元帥ハ極メテ自由ナル態度ニテ
「マ」 実際写真屋トイフノハ妙ナモノデパチ々々撮リマスガ、一枚カ二枚シカ出テ来マセン
陛下 永イ間熱帯ノ戦線ニ居ラレ御健康ハ如何(いかが) デスカ
「マ」 御蔭ヲ以(もっ) テ極メテ壮健デ居リマス。私ノ熱帯生活ハモウ連続十年ニ及ヒマス
之(これ) ヨリ元帥ハ口調ヲ変へ、相当力強キ語調ヲ以テ約二十分ニ亘リ涌々(とうとう) ト陳述シタルガ其ノ要旨左ノ如シ(英語ノ性質ニ鑑ミ、此ノ部分ハ此処ニハ特ニ敬語ヲ省略シテ訳述ス)
「マ」 戦争手段ノ進歩、殊ニ強大ナル空軍力及原子爆弾ノ破壊力ハ筆紙ニ尽シ難イモノガアル、今後若シ戦争力起ルトスレバ其ノ際ハ勝者、敗者ノ論ナク斉シク破壊サレ尽シテ人類ノ絶滅ニ至ルテアラウ、現在ノ世界ニハ今猶(なお) 憎悪ト復讐(ふくしゅう) ノ混迷力渦ヲ捲イテ居ルガ、世界ノ達見(たつけん) ノ士ハ宜シク此ノ混乱ヲ通ジテ遠キ将来ヲ達観シ平和ノ政策ヲ以テ世界ヲ指導スル必要ガアル。
日本再建ノ途ハ困難ト苦痛ニ充チテ居ルコトト思フガ、夫レハ若シ日本ガ戦争ヲ継続スルコトニ依ツテ蒙ルベキ惨害ニ較ブレバ何テモ無イテアラウ、若シ日本ガ更ニ抗戦ヲ続ケテ居タナラバ日本全土ハ文字通リ繊滅(せんめつ) シ何百万トモ知レヌ人民ガ犠牲ニナツタデアラウ、自分ハ自ラ日本ヲ相手ニ戦ツテ居ツタノデアルカラ日本ノ陸海軍ガ如何ニ絶望的状態ニ在ツタカヲ充分知悉(ちしつ) シテ居ル、終戦ニ当ツテノ陛下ノ御決意ハ国土ト人民ヲシテ測リ知レサル痛苦ヲ免レシメラレタ点ニ於テ誠ニ御英断デアツタ。
世界ノ輿論ノ問題デアルガ、将兵ハ一旦終戦トナレバ普通ノ善イ人間ニナリ終ルノデアル。然シ其ノ背後ニハ戦争ニ行ツタコトモ無イ幾百万ノ人民ガ居テ憎悪ヤ復讐ノ感情デ動イテ居ル、斯(か) クシテ所謂(いわゆる) 輿論ガ簇出(そうしゅつ) スルノデアルガ其ノ尖端(せんたん) ヲ行クモノガ新聞(プレス) デアル、米国ノ輿論、英国ノ輿論、支那ノ輿論等々色々出テ来ルガ、「プレスノ自由」ハ今ヤ世界ノ趨勢(すうせい) トナツテ居ルノデ、其ノ取扱ハ仲々困難デアル。
陛下 此ノ戦争ニ付テハ、自分トシテハ極力之ヲ避ケ度イ考デアリマシタガ戦争トナルノ結果ヲ見マシタコトハ自分ノ最モ遺憾トスル所デアリマス。
「マ」 陛下ガ平和ノ方向ニ持ツテ行ク為御軫念(しんねん) アラセラレタ御胸中ハ自分ノ充分諒察(りょうさつ) 申上グル所デアリマス。只(ただ) 一般ノ空気ガ稲々トシテ或(ある)方向ニ向ヒツツアルトキ、別ノ方向ニ向ツテ之ヲ導クコトハ一人ノ力ヲ以テハ為シ難イコトデアリマス。恐ラク最後ノ判断ハ陛下モ自分モ世ヲ去ツタ後、後世ノ歴史家及輿論ニ依テ下サルルヲ俟(ま) ツ他ナイデアリマシヤウ。
陛下 私モ日本国民モ敗戦ノ事実ヲ充分認識シテ居ルコトハ申ス迄モアリマセン、今後ハ平和ノ基礎ノ上ニ新日本ヲ建設スル為私トシテモ出来ル限リノ力ヲ尽シ度イト思ヒマス。
「マ」 夫(そ) レハ崇高ナ御心持デアリマス、私モ同ジ気持デアリマス。
陛下 「ポツダム」宣言ヲ正確ニ履行シタイト考ヘテ居リマスコトハ先日侍従長ヲ通ジ閣下ニ御話シタ通リデアリマス。
「マ」 終戦後陛下ノ政府ハ誠ニ多忙ノ中ニ不拘(かかわらず) 凡(あら) ユル命令ヲ一々忠実ニ実行シテ余ス所ガ無イコト、又(また) 幾多ノ有能ナ官吏ガ着々任務ヲ遂行シテ居ルコトハ賞讃(しょうさん) ニ値スル所デアリマス。
又聖断一度下ツテ日本ノ軍隊モ日本ノ国民モ総テ整然ト之ニ従ツタ見事ナ有様ハ是即チ御稜威(みいつ) ノ然ラシムル所デアリマシテ、世界何レノ国ノ元首ト雖及バザル所デアリマス。之ハ今後ノ事態ニ処スルニ当リ陛下ノ御気持ヲ強ク力付ケテ然ルベキコトカト存ジマス。
申シ上グル迄モ無ク陛下程日本ヲ知リ日本国民ヲ知ル者ハ他ニ御座イマセヌ、従テ今後陛下ニ於カレ何等御意見乃至(ないし) 御気附ノ点 (Opinion and advice) モ御座イマスレバ、侍従長其ノ他然ルベキ人ヲ通ジ御申聞ケ下サル様御願ヒ致シマス、夫レハ私ノ参考トシテ特ニ有難ク存ズル所デ御座イマス。勿論(もちろん) 総テ私限リノ心得トシテ他ニ洩ラスガ如キコトハ御座イマセンカラ、何時タリトモ又如何ナル事デアラウト随時御申聞ケ願ヒ度イト存ジマス。
陛下 閣下ノ使命ハ東亜ノ復興即チ其ノ安定及繁栄ヲ齎(もたら) シ以テ世界平和ニ寄与スルニ在ルコトト思ヒマスガ、此ノ重大ナル使命達成ノ御成功ヲ祈リマス。
「マ」 夫レ( 東亜ノ復興云々〈うんぬん〉) ハ正ニ私ノ念願トスル所デアリマス。只私ヨリ上ノ権威(オーソリティ)ガ有ツテ私ハソレニ使ハレル出先(エイジエンシー) ニ過ギナイノデアリマス。私自身ガ其ノ権威デアレバト言フ気持ガ致シマス。
陛下 閣下ノ指揮下ノ部隊ニ依ル日本ノ占領ガ何等ノ不祥事無ク行ハレタコトヲ満足ニ存ジテ居リマス。此(こ) ノ点ニ於テモ今後共閣下ノ御尽力ニ俟ツ所大ナルモノガアルト存ジマス。
「マ」 私ノ部下ニハ苛烈(かれつ) ナ戦闘ヲ経テ来タ兵士ガ多勢居リマシテ、戦争直後ノ例トシテ上官ノ指示ニ背キ事件ヲ惹起(じゃっき) スル者ガ間々居リマスガ、此ノ種事件ヲ最小限ニスル為ニハ充分努力スルツモリデアリマス。
陛下 以前ニモ日本ニ御出ニナツタ様ニ聞イテ居リマスガ、何時頃デシタカ。
「マ」 私ト東洋トノ関係ハモウ四十五年ニナリマス。最初ハ一九〇五年日露戦争当時デ、父ガ大山元帥ノ下ニ従軍シ私ハ父ノ副官トシテ参リマシタ。其ノ関係デ大山元帥、児玉元帥、乃木大将、黒木大将等数々ノ日本ノ偉大ナル人物ヲ知ツテ居リマス。黒木大将ガ米国ニ派遣セラレタトキハ私ハ父ト共ニ政府ノ命ヲ受ケテ案内役ヲ致シマシタ、又「タウンセンドハリス」祭ニ出羽海軍大将ガ派遣セラレマシタ際ニモ接伴致シマシタ。此ノ前東京ニ参リマシタトキハ比島ノ「ケソン」大統領ト一緒デ御座イマシテ此ノ米国大使館ニ居リマシタ。「ケソン」ガ謁見(えっけん) ヲ賜ハリマシタコトハ陛下モ御記憶ノコトト存ジマス。
陛下 ソレハ好ク覚エテ居リマス。
「マ」 「ケソン」ハ肺ヲ病ンデ居リマシタ。戦争勃発(ぼっぱつ) 後比島ヲ去リ暫時濠洲ニ滞在ノ後米国ニ渡リマシタガ、病亢(こう) ジテ約一年前死去致シマシタ。「ケソン」ノ死ハ東洋ノ為ニ大ナル損失ト存ジマス。彼ハ平和ノ士デアリ困難ナ事態ヲ穏ニ取纏(まと) メ得ル人物デアリマシタ。
陛下 夫人モ最近御到着ニナツタソウデアリマスガ、御元気ノコトト存ジマス。
「マ」 御言葉有難ク存ジマス。又御花マデモ賜ハリ感激致シテ居リマス。実ハ七歳ニナル愚息モ参リマシテ「マニラ」ニ比ベテ此ノ気候ヲ共ニ楽シンデ居リマス。愚息ハ近頃小サナ日本犬ヲ飼ヒ始メマシテ大悦ビデ御座イマス。
陛下 日本ノ秋ハヨイ気候デアリマスカラ、夫人ノ為ニモ亦(また) 永イ間酷熱ノ地ニ居ラレタ閣下ノ為ニモ御気持ノヨイコトト存ジマス。
「マ」 有難ク存ジマス。日本ノ秋ニハ度々参リマシテ、其ノ好サハ充分存ジテ居リマス。只ココニ居リマスト周リノ荒廃ガ余リヒドクテ昔ノ東京ノ気分ハアリマセン。スコシ田舎ヘデモ車デ行ケバ破壊モ少ナク昔ノ懐シイ有様ニ接スルコトガ出来ルカモ知レマセヌ。
陛下 日本ニ御滞在中モツト御会ヒスル機会モアルコトト存ジマスガ、御忙シイコトト思ヒマスカラ今日ハ之デ御別レシマス。
「マ」 先刻モ申上ゲマシタ通リ今後何カ御意見ナリ御気附ノ点モ御座イマシタナラバ、何時デモ御遠慮無ク御申聞ケ願ヒ度ク存ジマス。本日ハ行幸ヲ賜ハリ破格ノ光栄ト存ジマス。
陛下ヨリ再ビ御握手ヲ賜ハリ、元帥ノ御案内ニテ控ヘノ間ニ玉歩ヲ進メ給ヒ、此処(ここ) ニテ陛下ヨリ元帥ニ対シ宮内大臣、侍従長、侍医、行幸主務官ヲ御紹介アリ、元帥夫々握手ヲ行ヒタル後玄関迄陛下ヲ奉送ス。
(此ノ間約三十七分。奥村謹記)
(原則として常用漢字にし、一部に読みがなをふりました)